九話

春かと見紛うほどうららかな、とある秋の日の午後。
 木漏れ日の網目紋様で彩られた山の小道を、ザオネイルはゆったりとした足取りで進んでいた。時折立ち止まり、何かに耳を澄ませるような仕草をしては、再び歩き出す。
 やがてその背後から、軽やかな人の走る足音が近付いてきた。
 頬を赤くし、髪を背中で跳ねさせながら、ザオネイルの姿を見つけるなりアイリスは不満の声を上げる。
「ちょっとー! お弁当買うまで待っててって言ったじゃない、何で先行くのよ!」
「何でお前が弁当買うまで俺が待ってなくちゃいけないんだ」
「あら全否定!?」
 ふう、と息を整えてから上気した頬をぷくっと膨らますアイリス。ザオネイルの足取りは先ほどより速くなり、もう立ち止まろうとする気配を見せることはなかった。
「あのねあなたと違って私はお弁当を食べなくちゃいけないの。山道を行くなら先に買っておくのは常識でしょ? 食べられる木の実なんてそうそう見つからないし……」
「だからそもそも、なんでお前が山道を行くんだ」
「何よ別ルートで行けって言うの? そんなことして、途中出会った山賊の願いなんか叶えられちゃたまらないじゃない。私わかったの。あなたが民に害を為すような願いをほいほい叶えたりしないよう、しっかり見張るのが自分の使命なんだって」
 胸の前で手を組み、遠い眼差しで空を見上げるアイリス。
「この決意はお父様にも手紙でお報せしたわ。田喰い虫が豊穣の虫になることも、ナルパ王国から無償で援助が受けられることも早速民に伝わりだしたようだし……あとはこの喜びを無に帰さないよう、あなたをしっかり見張ることが大切なのよ」
 それに……と、こちらは口の中でこっそり呟くアイリス。
(やっぱりあなたがどういう人なのか、ちゃんと知っておきたいしね)
 貢物の立場を嘆くより、見聞を広めるいい機会だと前向きに捉えた方がきっと健康的だ。前向きなアイリスをザオネイルはちょっと心外だとでも言うような目つきで眺めた。
「信用ないな」
「あるものですか! 人をちょっと感動させておいて、結局自作自演なんだから!」
 ザオネイル弁当とザオネイル饅頭(おいしかったらしい)の包まれた風呂敷を振り回し、ぷんぷんしながらアイリスはザオネイルを睨め付ける。
「大体順番待ちがどうのとか言っておいて、どの願いも結局貢物を返して無かったことにしちゃうんだから責任感ってものがないわ、責任感ってものが!」
「まあな。最初はそれなりに叶える気でいたんだが、なんか面倒になって」
 どの貢物も結局あんま気に入らなかったし……と悪びれないザオネイル。今朝になって突然「温泉飽きた」と言い出した彼は、貢物とそれぞれの願状を並べ、下手くそな字で「ごめん。かえす。」と床に直接墨汁で書き、そのまま家人に何も告げず館を出奔したのだ。
 父の願いは叶えてもらったのだが、なんか癖でつい早朝からザオネイルの部屋を訪れてしまっていたアイリスも慌ててその後を追い、今に至る。
「あんなにお世話になったっていうのに、良かったの? 家の人に何も言わないで……」
「言えば引き止められる。いつものことだ。ナルパ王国でも、あのキラキラした男が祠とか作り始めたから慌てて出てきた。いくら食事に困らなくても自由が無いのはごめんだからな」
「ふうん……」
 確かに願いを叶えて欲しい人間からしてみれば、カミがずっと傍にいるのは喜ばしいことなのだろう。でもそんな風に頼りきりになるのはごめんだ、とアイリスは思う。人間にはカミに無い素晴らしい力があるのに、みんなそれを知らないのだろうか。
(カミをやるのもなかなか大変なのね)
 自由気ままに傲慢に生きているカミよりも、実はカミに自分の願いを叶えさせようとする人間の方がずっとしたたかで、傲慢なのかもしれない。どっちもどっちということか。
「ねえところで、次はどこに向かっているの?」
「特にどこという目的はない。気の向いた方向に歩いているだけだ」
「だったら折角ならここに行ってみない? 秋になると紅葉が綺麗だってこの本にね」
 購入したのであろう肩掛け鞄から、これも購入したらしい『見なきゃ死ねない! ランズーカ一押し観光地百選!』をいそいそと取り出すアイリス。そんな彼女を横目でちろりと見てザオネイルはふと首を傾げた。
「ところで一つ疑問があるんだが……」
「何よ? あ、ここもいいわね。昔ながらの美しい棚田が広がる農村風景……」
「そもそもお前、最初なんのために来たんだっけ?」
 何気なく発されたザオネイルの素朴な疑問に、アイリスはピタリと動きを止めた。
まさかこの人、私が貢がれてきたこと忘れてる?
(だとしたら……願いを叶えてもらった以上しっかり貢がれなきゃと思ってたけど、知らぬ顔して王城に帰っても問題無かったってわけ……?)
 いや、それにしたってザオネイルを見張る人材は必要だし興味もある。同じことだ。それでも何か違う。何かこう、覚悟の度合いというか、自分の立ち位置というか。
 それにそうだとしたら、父の決意やレジーの怒りは一体……。
「えーと確か、ランズーカ王の願いを叶えさせるという他に何か……あ、俺のファンだっけ」
 たまにいるんだよな、と呟き、立ち止まったアイリスを訝しげに振り返るザオネイル。
 その顔をギンッと睨みつけ、どこにそんだけ、と思わせる怒りのオーラを立ち上らせ、口を火でも噴きそうな具合にカッと真四角に開け放って。
「あんっったが所望したんでしょうがーーーーッ!!」
 周囲の梢を震わせるアイリスの怒声に、休んでいた小鳥達が一斉にバサバサと飛び立った。
「まったく信っじらんないこの責任無し無節操男!! とても許し難い発言だわ!!」
 ガミガミガミガミと捲くし立てるアイリスに追われるようにして、睨まれた瞬間から耳を塞いでいたザオネイルは、そのまま嵐が過ぎ去ることを祈りつつそれまでより速めにスタスタと歩みを進め始めた。こいつの爆弾どこにあるかわからん、と胸中でぼやきながら。
(――ま、何でもいいか)
 ガミガミ言いながらアイリスは、耳を塞ぐ自分の手を背伸びして外そうとしている。
彼女の懸命なその様子は見なくても手に取るように分かり、何故だか口元が緩んだ。
(紅葉だっけ……?)
 人間のように道の先に目的があるというのも、きっとたまには悪くない。
<了>