第二章 海辺の村(中)(1)

 ――まだほの暗い夜明け。  クエルヴァは足音をひそめながら病室を抜け出した。  しんとする廊下を進み、居間に滑り込む。  昨夜ここで食事をとったときに、新聞があることに気がついたのだ。  ――まずは、この三日間で何が起きたのか把握しなくてはいけない。  クエルヴァは棚の脇に置かれた籠から新聞を取り上げると、日付を確認してから、おそるおそる紙面に目を走らせた。衝撃的な見出しが次々と目に飛び込んでく...

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第二章 海辺の村(中)(2)

 ヘリファルテは、クエルヴァの警戒するような眼差しをちらりと受け止めてから、手に持った新聞を棚の脇の籠に放り込んだ。 「心配しなくていい……」  棒のように突っ立ったままのクエルヴァを、溜息まじりに振り返る。 「君に、事情があることはわかっている。だけど、僕は言ったはずだ。自分の患者は守る主義だと」  その声は静かだったが、強い意志を感じさせた。 「君が誰であっても、それは変わらない」  クエルヴ...

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第二章 海辺の村(中)(3)

「……料理ができるのかい?」  ヘリファルテの驚きを含んだ声に、クエルヴァは一拍間をおいてから頷いた。手に取った卵を、おっかなびっくり割る。  もともと、ティエランカ王室はどんなに豊かな時代でも質素倹約を美徳としてきた。   最低限の身の回りのことも自分でするように教育されてきたから、料理を手伝うことに何も抵抗はない。簡単な料理くらいは自分も作れるはず――。  クエルヴァは黙々と手を動かした。しか...

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第二章 海辺の村(中)(4)

 クエルヴァがルチアになってから、一週間が経った。  その間、ルチアは毎日新聞を読んだが、父と弟が置かれている状況や、エリアスに関する情報を得ることはできなかった。  ただ、ミラーノの臨時政権が、日に日に本格的な独裁政権へと体制を整えつつあることは事実だ。その勢いが、新聞を通して否応なしに伝わってくる。  ――かつて、ルチアはミラーノと一度だけ顔を合わせたことがあった。  ミラーノは、一見すると中...

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第二章 海辺の村(中)(5)

 マナーニャは貧しい寂れた海辺の村だ。  男も女もわずかな収入のために黙々と身体を動かして働いている。  ヘリファルテによると、最近では現金を稼ぐために、貿易港のある隣町のパルティールに出稼ぎに行く村人もいるそうだ。そうしなければ、毎年上がっていく物価に追いつけないという。戦後の不況の波は、容赦なくこの小さな村にも押し寄せている。   それでも、白壁が続く村は、夏の太陽を浴びて輝いていた。  ...

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第二章 海辺の村(中)(6)

「ルチア、本当に直せるの?」  横から聞いたポジートに、ルチアは、たぶん、と微笑んだ。 「中を見てからでないとわからないけれど」  さっそく工具を手にとってラジオの木の蓋のネジを外す。 「見て、ポジート。ここが断線している。これなら直せる。それとほら、これが真空管。ここで周波数を変換するの。面白いでしょう?」  ルチアが瞳を熱くして語ると、 「ん――、よくわかんない」  ポジートは頬杖をついたまま...

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第二章 海辺の村(中)(7)

「ルチア?」  ふいにポジートがルチアの腕を揺すった。 「俺も、直してほしいものがあるんだけど……」  それは、難しい顔をしている大人たちを憚るような、小さな囁き声だった。 「わかった、持ってきて」  ルチアも小声を返すと、ポジートはたちまち奥の部屋に姿を消した。何かを探しているらしく、なかなか戻ってこない。ふと窓の外を見ると、真っ黒な雲がみるみる空に広がっていくのが見えた。中庭の木々がざわりと風...

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第二章 海辺の村(中)(8)

 夕暮れの浜辺に佇むルチアの後ろ姿を見て、ヘリファルテは足を止めた。 「ルチア」  しかし、彼女は振り返らない。それでもヘリファルテはかまわなかった。考え事をしているとき、彼女は外の世界から少しだけ離れてしまう。  何を考えているのか、ルチアはまるで彫像のように動かず、黒い髪をはたはたと潮風に舞わせている。  ――ルチアを浜辺で見つけてから、もう十日が過ぎた。  傷の回復は早く、少しずつ健康を取り...

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第二章 海辺の村(中)(9)

 しばらくヘリファルテが考えを巡らせていると、ルチアがじっと、神妙な顔つきでこちらを見上げていることに気がついた。ヘリファルテが問いかけるように目を合わせると、ルチアがためらいがちに口を開いた。 「そういえば……、ポジートのお兄さんの腕時計を直したのだけど」  ヘリファルテが軽く目を瞠ると、ルチアが慌てたように弁解した。 「ごめんなさい……! ただ、あれはあなたが届けに来たものだと聞いたから――」...

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