魔王様と勇者な姫君~魔王征伐は恋の罠!?~

著/柊 六花

 漆黒の円柱が立ち並ぶ重厚で広々とした廊下の壁に、ぽつぽつと蝋燭の炎が灯っている。
 その灯りに導かれるようにして、冷たい石床に足音を反響させながら進む影が二つあった。
「姫、くれぐれも油断はされませぬよう」
「分かってるわ」
 国王より魔王征伐の任を与えられたルナセレネア王国の第三王女ユズリハは、緊張を悟られないようにとあくまで冷静を装う。
 けれど、護衛役のゼフィランサスは心配な面持ちのまま告げる。
「姫様に何かあれば……私はお父君であるデュランタ王に合わす顔がございません」
 その言葉にユズリハの足がぴたりと止まる。
「少しくらい心配させてやればいいのよ」
「ひ、姫様……?」
 ゼフィランサスは自分より一回りも二回りも小さい可憐な姫君へと視線を落とした。
 ユズリハはゼフィランサスを振り仰ぐと、ここが魔王の居城だと言うことも忘れて叫んだ。
「だって、ひどすぎるわ!」
「………」
「確かに、結婚は嫌だと言ったわ。それを免れる為なら何でもするって言った。でも、でもよ――」
 涙目で訴える。
「何も、魔王征伐を命じることないじゃない!? これでも、れっきとした姫なのよ!?」
 これでも、と言ったのは……騎士であるゼフィランサスに剣の稽古をつけてもらったり、城下町へこっそりお忍びで出掛けてトラブルを起こしたりと……姫らしからぬ行動をとっていることを一応は自覚しているからである。
「ねぇ、ゼフィーもそう思うでしょ!?」
「…………」
 ゼフィランサスは複雑な心境でその訴えを聞いていた。
 というのも――道中、魔王の差し向けた刺客に幾度となく命を狙われてきたが、この可憐な姫君は、「父上の馬鹿~っ!」と叫びながらも、鮮やかな剣技でばっさばっさと敵を薙ぎ倒し、得意の精霊魔法を駆使して数多の魔物達を問答無用で屈服させてきたのである。
 ゼフィランサスは、危く存在を忘れるところだった腰の剣を意識する。ルナセレネア城を出てから一度たりとも出番が無かった愛剣は、さぞかし啼(な)いていることだろう。
 しかし、そんな思いは胸中へとしまいこむ。
「姫様……お父君も姫様に斯様(かよう)に酷な任務を与えるおつもりは無かったかと存じます」

 話は半月ほど遡る――

「父上、今、何て申されましたか!?」
 ユズリハの頓狂な声に動じることなく、王は威厳のある声で告げた。
「そなたの結婚が決まったと申したのだ。相手はイシュタリス王国の第一王子」
 イシュタリスですって!?
 西のルナセレネア、東のイシュタリスと対で語られることも多い、東の大国である。
「これほどの縁組はないであろう。政略結婚には違いないが、先方はそなたの肖像画に一目惚れし、是非と申された。勿論、今すぐにというわけではない。まずは婚約からだが……」
「父上!」
「何だ、ユズリハ。おお、そうか、すまなかったな」
 王は娘の訴えを勘違いし、用意していた肖像画を側近に持ってこさせた。
「見よ。まぁ、少し頼りなさげではあるが、そこは、ほれ。お前の教育次第だ」
「…………」
 父王の期待に応え、仕方なくちらりと肖像画に目をやった。
 確かに、可もなく不可もなくという感じだ。
「嫌です」
「何?」
「いーやーです!」
 ユズリハは、一番遠くに控えている家臣にも聞こえる程大きな声できっぱりと言った。
「大体、まだ会ってすらいないじゃないですか!」
「何、すぐに顔を合わすことが出来よう」
「……そういうことを言ってるんじゃありません」
 勿論、政略結婚というものが王女としての責務であることは十分に理解しているが、こういうのは理屈でおいそれと納得できるものではないのだ。
 そして先程父は、一目惚れと言っただろうか。勿論、意味は知っている。一目見て好きになることだ。しかし、一目見て好きになるなんてことが、あるのだろうか。
「父上、この結婚を無かったことにしていただけるのでしたら、前(さき)の大雨で決壊した堤防の修復作業なり何なり、何でもいたします!」
 王は顔を顰めた。
「王女のそなたが、何故そんなことをせねばならぬのだ。ならぬ……。この結婚は決定事項だ」
「父上!」
「相も変わらず分からずやな娘だな、そなたは!」
 名君と名高い王も世の父親と変わらなかった。娘の態度に苛立ち声を荒げてしまうが、言われた本人は全く臆することなく、更に勢いづいた。
「分からずやで結構です! 破談にしてください!」
「くぅ……」
 聞き分けのない娘に、王は苦虫を噛み潰したような表情になる。
 しかし、ある妙案が頭を過り、急に取り繕ったように冷静な声を出した。
「そなた、何でもすると申したな」
「はい」
 王はにやりと人の悪い笑みを浮かべた。
「では、一つ条件を提示してやろう。ユズリハ、魔王を征伐してみよ。見事果たすことが出来れば、此度の縁談は無かったことにしても良い」
「な……!?」
 ユズリハは耳を疑った。
 魔王……それは、悪逆非道の限りをつくす魔物達の王たる存在。このアストレイア大陸の最北の地にその居城を構えていると言うが、未だかつて征伐を果たした者はいない。そもそも、触らぬ神に祟りなし……と近づこうとする者は無いに等しい。かつて魔王征伐を掲げた無謀な国があったそうだが、その結果は惨然たるものだったと言われている。
 だから王は決して本気ではなかった。目的は、無理難題を吹っ掛けて口煩い王女を黙らせること、その一点であった。
 しかし、
「やります!」
「それ、無理であろう。出来ぬ事を申すなど……何? そなた、今なんと申した?」
「ですから、その任務……謹んでお受けします」
 ユズリハは再度意志を伝えると、すーっと挑戦的な瞳を王へと向けた。
「父上、よもや権勢を誇るルナセレネア王国の王が約束を違(たが)えるなんて……ある筈がございませんよね?」
「んな……」
 王は呻いた。
「父上?」
 娘の迫るような瞳に、かっと頭に血が上った王はついに言ってしまう。
「ええい、口の減らぬ娘だ! では、そなたに北の地に住まう魔王の征伐を命ず! やれるものならばやってみよ!」
 まさか本気である筈がない、と王は啖呵を切ったが、ユズリハはさっさと城を出て行った。供も付けずに、一人で。遅れて臣下よりその報告を受けた王は、慌ててルナセレネア王国一の騎士であるゼフィランサスに姫の後を追わせ、連れ戻すようにと命じた……。

 国境付近で漸く姫に追いつくことが出来たゼフィランサスだが、彼女は頑なに帰ることを拒んだ。揚句、魔王を倒すまでは絶対に城へは戻らないと宣言した。つまり、これは互いに退(ひ)くことが出来なくなってしまった親子喧嘩の産物であり、この護衛はそのとばっちりだ。
 しかし、その実、彼は決してこの任務を悪いものとは思っていなかった。
 吟遊詩人が月の女神と謳うように、ユズリハ姫はその容姿において完璧なまでの美少女だった。白く透き通った肌、月色に輝く瞳、まるで月光を編み込んだように真っすぐで艶やかな金髪、そして美姫と名高かった亡き母の面影を継いだ麗しい顔立ち。姫らしからぬと評されているそのさっぱりとした性格も、民に愛されている。
「姫様……とりあえず、先へ進みましょう。魔王を倒し、一刻も早く城へ戻りましょう」
「そうね……。魔王なんてさっさと倒して、父上に文句の一つでも言ってやるわ!」
 ぐっと拳を握りしめ、戦いやすいようにと一つにまとめられた高いポニーテールを翻した。
 長い廊下を突き進んでいくと、程なくして高い天井に向かってそびえ立つ巨大な扉が眼前に現れる。
 この先に魔王がいる――。
 思った刹那、扉は地響きをたて、来訪者を歓迎するかの如く自然に開かれた。
 二人は顔を見合わせてから、意を決してその奥へと足を踏み入れる。
 広間は薄暗く、ちろちろと蝋燭の炎が揺れている。暗いせいか少し赤黒く見える絨毯が、道標のように奥へと伸びていた。
 足音を響かせて進んでいく二人に、両端に控えている魔王の家臣と思しき魔物達の視線が注がれる。舐めまわすような視線にぞくりとするが、いきなり襲ってくる気配はなさそうだ。一先ず安心し、ユズリハはゼフィランスと共に奥へと歩を進める。
 そして最奥、幾段か高くなったところに玉座があり、漆黒の長衣に身を包んだ青年が座っていた。纏っている衣と同じように黒い髪、紅玉(ルビー)を嵌め込んだような赤い瞳。まるで人ではない証とでも言うように、その顔立ちは恐ろしい程整っている。
 間違いない、これが魔王だ。これまで見てきた、そしてこの場にいるどの魔物たちとも違う、静かで……重々しい気配。
 ユズリハは息を呑んだ。ゼフィランサスは何時(いつ)でも繰りだせるようにと、剣の存在を頭の隅に置く。
 魔王は深紅の双眸を細めると、口角を持ち上げ余裕の笑みを浮かべた。
「待っていたぞ……」
 重く、低い声が降ってくる。その視線は並んで立つ二人にではなく、何故かユズリハ一人に向けられている。
「ふ、やはり鏡で見るのとでは違うな」
 鏡? と、ユズリハは訝しげに視線を玉座からやや斜め横にずらす。魔王の強大な存在感で周囲が霞んでしまい気付かなかったが、気付かなかったことが不思議なくらい大きな鏡が飾ってある。
「この千里鏡(せんりきょう)はこの世界の全てを映す。これでそなたのことをずっと見ていた。我の差し向けた配下を、ことごとく打ち破っていく姿をな……」
 魔王の纏う気配が変わっていくような感覚を覚え、ユズリハの額に薄く汗が浮かんだ。
 魔王の怒りが昂ぶっていく――ユズリハは、覚えている呪文の数々を急いで頭の中に展開する。
 大丈夫、魔王が何を仕掛けてこようが、応戦できるっ!
 静寂と緊張が広間を支配する中、魔王の唇が動いた。
「可憐だ……」
 は? と、ユズリハはぽかりと口を開けた。
 空耳だろうか。この場にはそぐわない言葉が聞こえた。
「その輝かんばかりの金の髪を揺らし、我が配下をいとも簡単に屈服させていく姿、放たれる魔法の鮮やかさ……その一挙一動が可憐で、美しかった」
 可憐? 美しい?
 ユズリハは魔王の言葉をよく吟味した末、
「……………………は?」
 と、今度は声に出して言った。
 しかし、そんなユズリハには全くお構いなしに、魔王は更に意味不明な言葉を重ねた。
「愛の言葉が足りぬか」
 自嘲気味に笑い、
「ならば、我が愛の深さを示してやる」
 パーン、と手を叩いた。
「祝言の準備だ!」
 
 静まり返っていた広間が、一気に活気づいた――。

 翼の生えた魔物達が頭上を飛び交い、獣人や人に似た二本足の魔物達が慌ただしく広間を駆け回り、ユズリハもゼフィランサスも唖然とする。
「な……何?」
 困惑するユズリハを見て、魔王は笑った。
「決まっておろう。我とそなたの婚礼の準備だ」
「こ……婚礼!?」
「そうだ。我はそなたに一目惚れした。妃を持つつもりはなかったが、そなたを見て気が変わったのだ」
 魔王は酷薄な美貌に似合わない言葉を、その端整な唇から紡ぎ出した。
「なななな、何で私があなたと結婚しなきゃならないのよ!?」
「今言ったであろう。そなたに惚れたからだ」
「な……ほ、惚れた……って……」
「そなたにぞっこんだ」
「――っ」
 恥ずかしげもなく愛の言葉を囁かれ、ユズリハは真っ赤になった。
 冗談めかして言われたのなら、軽く受け流すことが出来ただろう。しかし、性質(たち)の悪いことにユズリハを見る魔王は真摯そのものだ。それも、今まで見たことのない程に美しく整った顔立ちのせいなのか、どうしようもなく心が乱される。
「ひ、姫様っ!?」
 ふらりと倒れそうになるユズリハの身体を、ゼフィランサスが慌てて支えた。
「姫様、お気を確かに!」
 そう言う彼も、明らかに動揺している。
「ありがとう、大丈夫よ」
 軽く目眩を起こしながらも、ユズリハは気を取り直し、魔王を見上げた。
 いきなり求婚してきたこの男は、本当に魔王なのだろうか。
「……理解できないわ」
 魔王が深紅の瞳をぱちりとさせ、ユズリハの言葉を聞き咎めた。
「何を理解できぬと申すのだ。我はそなたを愛した。故に、求婚した。何もおかしなことはあるまい?」
「わ、私はあなたを愛してないわ!」
「構わぬ。重要なのは我の気持ちだ」
 なんと勝手な……。
 この男が魔王かどうかを疑ったばかりだが、これはしっかりと魔王である。
 そんな気持ちが、ユズリハの表情に出てしまったのかもしれない。
 魔王は不思議そうに首を傾げた。
「我が妻となることが、嬉しくはないと?」
「当たり前でしょ!?」 
「ふむ……」
 魔王は顎に手を添える。
「では、条件を言ってみろ」
「条件?」
「そうだ。どのような条件ならば、我と結婚するというのだ?」
「え……」
 想定外の質問に、ユズリハは僅かに唇を開いたまま固まった。
「何だ、分からぬのか? 分からぬのに、そなたは……」 
「分かるわ! 分かるわよ!」
 つい勢いで言ってしまってから、あれ、と思う。
 これは、結婚する前提で話が進んではいまいか。
 こうなったら、ここは何としても上手いことを言って、諦めてもらおう。それしかない。
「あ……」
「あ?」
「あ……そう、愛よ! その愛が一番信用出来ないのよ!」
「ほう?」
「……つ、つまり……愛なんて、目に見えるものじゃないでしょ? どうやって信用しろって言うのよ。私は……目に見えるものしか、信じないことにしてるのよ」
「ふむ。では、我が愛が見えれば、そなたは我が妻になるのだな?」
「え? ええ……」
 そんな風に切り返されるとは思わなかったから、咄嗟にそう答えてしまう。
 魔王はにやりと笑い、豪快な笑い声を広間に響かせた。
「ふははは、面白いっ! すぐ手に入るものほど、つまらぬものはない。その条件、我が満たしてやろう!」
 斯(か)くして、恋の炎は一方的に大きく燃え上がった……。
 婚礼の準備にかかっていた魔物達に一先ずやめるようにと指示し、場は再び静寂を取り戻すが、ゼフィランサスの悲痛な叫び声が沈黙を破って反響した。
「姫様っ! 魔王をやる気にしてどうするんですか!?」
「知らないわよ!」
 あの男が勝手にやる気を出したのだ。責められる謂(いわ)れはない。
「何だ、何を騒いでおる?」
「な、何でもないわ!」
 そう、今すべきことは燃え盛る恋の炎の鎮火だ。ゼフィーと争っている場合ではない。
「そうか? では、一先ず部屋へと案内させよう」
「へ、部屋!?」
「何を驚いておる。そなたの為に、南東の部屋を用意した」
「な!?」
「な? ……何だ、南東の部屋では不服か。見晴らしは悪くないぞ?」
 誰が景観を気にしてるのよっ! 
「そうじゃなくて、まさか、私をここに住まわせる気なの!?」
「帰るつもりであったのか?」
「当然で――」
 不自然に言葉を切ったユズリハを、魔王が怪訝な顔で見る。
「どうした?」
 ユズリハは魔王を顧みず、傍らのゼフィランサスの胸をがしっと掴んだ。
「考えてみたら、あいつ倒さないと帰れないじゃない!?」
「ええ、そうですね……」
 ゼフィランサスは、もう笑うしかないと言わんばかりの苦笑を浮かべた。
 どうしたのだ? と再び悠長に尋ねてきた魔王を、ユズリハは月色の瞳でキッと睨め付けた。
「あなたを倒さないと、私は国に帰れないのよ!」
 ユズリハが叫ぶように言うと、魔王は笑みを深め声に出して笑った。
「ふははは。そうであったな。そなたは我を倒しにここに参ったのであった。そなたの色香に酔いしれて、すっかり忘れておった」
 端々の恥ずかしい言に赤くなりながらも、ユズリハは気丈な態度を崩すまいと、魔王を更に強く睨み据えた。
「ふ……いいだろう」
 魔王は立ち上がりもせず、座したままその端整な口元に微笑を乗せた。
「相手をしてやっても良いぞ?」
 飄々と挑発的な気配を纏わせる。
 見下したようなその態度に、武人気質のユズリハの血がかっと熱くなる。
「その言葉、後悔しても知らないわよ!」
「姫様っ! 魔王の相手は私が――」
「ゼフィーは下がってて。私が倒さないと意味ないでしょ!」
 恥ずかしい台詞を散々浴びせられ、心が乱されっぱなしだったユズリハは、ゼフィランサスの制止も聞かず呪文の詠唱を始めた。
「魔王様、人間の相手は我々が! ご命令を!」
「良い、お前達は下がっておれ。姫君の相手は我がする。今後一切、手を出すことは許さぬ」
 ユズリハは精霊魔法によって高い天井に向かって跳躍し、右手に収束させた紅い焔を魔王目掛けて一気に解き放った。炎は龍の形となって咆哮をあげながら魔王へと襲いかかるが、魔王は一向に動く気配がない。笑みを刻んだまま、ユズリハを見つめている。
「な、避(よ)けないの!?」
 一発目の魔法から逃れた魔王を次なる精霊魔法でたたいてやろうと思ったのに、動く様子が全くない。束ねた髪をまるで黄金の尾のようにして舞うユズリハの姿に、魔王は魅入っている。
「美しい……」
 魔王の呟きは、しかし広間を一瞬のうちに駆け抜けた轟音にかき消され、ユズリハには届かなかった。放った魔法は確実に魔王をとらえ、炎の柱を噴き上げたのだ。
 ユズリハは身を翻し、鮮やかに着地する。玉座を確認しようと素早く顔を上げた刹那、辺りを取り巻いていた煙が、ぶわっと吹き抜けた一陣の風により散らされた。
「う、嘘……」
 魔王は玉座に座っていた。攻撃を仕掛ける前と少しも体制を変えることなく、涼しげな笑みを浮かべながら。
「どうした、我が力に見惚れておるのか?」
 ん? と魔王は嫣然と微笑んでいる。
 信じ……られない……。
 ユズリハの放った精霊魔法は上級クラス。なのに、全くの無傷だなんて……。
「姫様っ!」
「くっ……」
 ゼフィランサスの声を無視し、ユズリハは腰に提げている剣を引き抜いた。柄(つか)に青い宝石を嵌め込んだ、女性でも扱うことのできる細身の長剣である。その銀色の刀身に指を滑らせ、ユズリハは呪文を唱えた。ぱっと光が弾け、剣は精霊の加護を得る。これで、本来の力以上の力で剣を扱うことができる――。
 地を蹴り、高みにある玉座へと飛翔する。携えた剣が魔法の光を放って、きらきらと星屑のような光を降らせる。
 足を組み悠々と座す魔王の前に着地すると同時に、ユズリハは瞬息の速さで剣を振り下ろすが、
「……っ」
 魔王は片手で難なくそれを受け止めた。
「そなたの瞳は美しいな。天上の月の如く、金色に輝いておる」
「は……離して……っ」
 魔王がもう片方の手で、剣の柄を握るユズリハの手首を掴んでいた。
 そのまま引き寄せられそうになり、ユズリハは渾身の力で剣にかけた魔法を更に強く発動させた。眩い光が刀身より溢れ、ユズリハは魔王の手を逃れた。魔王の表情が変わらなかったところを見れば、少しも本気を出していないことが分かるが、ここで退(ひ)くわけにはいかない。一太刀浴びせようと再び剣を振り下ろす。しかし、剣先は魔王へは届かず、それどころか魔王の身体より風のような力が放たれ、ユズリハの身体は風威に耐えきれずに吹き飛ばされた。
「きゃっ!」
 一瞬の出来事に、魔法で衝撃を和らげる間もなく宙に投げ出された。
 ――地面に叩きつけられるっ!
 呪文が間に合わず、ユズリハは訪れる衝撃を覚悟して目を瞑る。しかし、訪れるだろう痛みは何時(いつ)までたっても襲ってこなかった。
「……?」
 不思議に思い、ゆるゆると目を開くと。
「そなた、軽いな」
「――!?」
 間近に魔王の整った顔があり、ユズリハは息を詰めた。
 ユズリハは抱きかかえられていた。魔王の屈強な腕に、横抱きにして。
「おっと」
 思わず繰り出してしまった平手を、魔王はひょいと避(よ)けた。
「随分な御挨拶だな」
 そう言いながらも、魔王はくくくと楽しげに笑っている。ユズリハは、かーっと頬を赤く染め、魔王の腕の中で身をよじって暴れた。
「離してよ!」
「助けてやったのに、礼の一つも言えぬのか?」
「な……誰のせいで……」
「力を加減出来なかったのは我の落ち度だが、そもそも攻撃を仕掛けてきたのは、そなたではなかったか?」
「う……」
 それには返す言葉もなく、ユズリハは俯いた。
 魔王は何もしていない。座っていただけだ。そしてそれが何よりも腹立たしい。
「ところで、そなたの国では礼を言う代わりに平手打ちするのか?」
「そんなわけないでしょう!?」
 勢いよく振り仰ぐと、魔王の深紅の瞳がユズリハをじっと見つめてきた。
 目が、そして意地悪そうにつり上げられた口元が、訴えてくる。
 礼を言えと――
 確かに、あのままでは地面に叩きつけられ、怪我どころではすまなかった。それを助けてくれたのは事実だ。でも。だけど。
 ああ、もうっ!
 ユズリハは観念し、唇を開いた。
「…………ありがとう」
 そっぽを向きながら、漸く言葉を紡ぎだす。何故だろう。どきどきと鼓動が煩いほど鳴っている。
 そして、やっとの思いで礼を言ったユズリハに、魔王は楽しげに告げるのだった。
「何、礼はいらぬ」
 その言葉に、ユズリハは無駄と分かりつつも二度目の平手を繰り出した――
 
「何で破談にする為に来た魔王の城で、魔王に求婚されなきゃならないの!?」
 アストレイア大陸、最北にある魔王の居城。その南東の一室から、ユズリハの苛立たしげな声が上がった。
 ゼフィランサスは宥めるように言う。
「ですが、我々では……」
 そう。あの魔王は全く本気ではなかった。にも拘わらず、手も足も出なかった。
 ゼフィランサスはルナセレネア王国一の騎士だが、彼の力を頼ったとしても、魔王に勝つことは出来ないだろう。
「何てことなの……」
 ユズリハは、部屋の中央に置かれた豪奢な天蓋付きベッドの上に倒れ込んだ。
 天蓋から下げられた白い紗には小粒の宝石があしらわれ、窓から漏れ入る僅かな夕陽すらも、きらきらとした輝きへと変えている。そして、細かく刺繍が施された花模様の寝具。
 その見事な刺繍を指でなぞりながら、ユズリハは呟く。
「魔王の趣味? の、わけないわよね……」
 ベッドの上に置かれたふかふかの枕を手に取ってみる。
 はらりと、花模様のカードが落ちる。枕と同じ柄(がら)だったので気付かなかった。

 姫の為に、アストレイア一の仕立屋につくらせた。良い夢を――

「……」
 私の為にわざわざ? あの魔王が?
 そのカードを手に、考えを巡らしていると。
「もしかして……嬉しい、とか思ってます?」
 ゼフィランサスが覗き込んできた。
「お、思ってないわよっ! ……って」
 はたと思い当たる。
「……ねぇ、ここに来て大丈夫なの?」
「はぁ。まぁ、そうですね……見られたら、大変でしょうね」
 彼は暢気にそう言う。
 一緒に旅して気付いたのは、彼はのんびり……というか、意外と能天気だということだ。こんな危機的状況下でうろたえもせず。しかも、魔王の城でその城主たる魔王に求婚されている姫の部屋に堂々と入って来られるのだから、大物だ。
「こんなとこ見られたら、きっと逢引きだとか何とかわけ分からないことを……」
「言いそうですね。そうなる前に戻ります。姫様に与えられたお部屋を見に来ただけですから。少々、心配になりまして……」
 心配? 一国の王女が過ごすのに相応しい部屋かどうか、ということだろうか。
「……ちょっと少女趣味だけど、悔しいくらいに不自由のない部屋よ?」
 一通り化粧道具の揃えられたドレッサーに、蔦をからめたような透かし彫りの衣装棚。棚の中には、フリルで飾られた色とりどりのドレス、そして引き出しという引き出しには、燃えるように赤い紅玉(ルビー)の首飾りや、宝石を惜しみなく散りばめた金銀細工の簪(かんざし)、指輪、耳飾り。部屋も四間続きになっていて、かなりの広さを備えている。
 全くの賓客扱いで部屋の外に見張りの姿もなく、束縛する気は全然ないらしい。
「ええ、安心しました」
 と、彼が答えたその時。後方の扉が勢いよく開け放たれた。
「どうだ、姫。部屋は気に入ったか? ……ん?」
 ゼフィランサスの姿を見るなり、魔王は見るからに顔を顰めた。
「何故、お前がここにおる? 未婚の娘の部屋に入るとは、無粋であろう」
「あなたもでしょ。ノックくらいしなさいよね!」
「我は良いのだ。そなたの夫だからな」
 今、未婚って言わなかった!? と突っ込む間もなく、魔王は傲然と腕を組み、ゼフィランサスに告げた。
「戻れ、人間。姫のたっての願い故、仕方なくお前にも部屋を用意してやったというのに、我の目を盗んでよもや逢引き――」
 ほら、やっぱり言いだしたわ!
「そ、そういえば、ゼフィーの部屋は何処なの?」
「おお、この人間には北西の部屋を与えてやったぞ」
「北西?」
 というと、この部屋からは反対の方角だ。
「案内してもらえるかしら?」
 嘗められないようにと、顎を反らして不遜に頼む。
 魔王は露骨に嫌そうな顔をした。ユズリハの態度に、ではなく。
「そなた、この男に興味があるのか?」
「はぁ!?」
 興味があるのは、部屋だ。何を勘違いしているのか。
「あなたが彼にもちゃんと部屋を用意してくれたのか、確かめたいのよ」
 すると、魔王の機嫌が良くなった。
「何だ、そういうことか。良いぞ、好都合でもある」
 は? 好都合?
「ついて参れ」
 何をわけ分からないことを、と思っている間にも、魔王は漆黒の長衣を翻し踵を返した。

 そして――

「ちょっと……」
 魔王がゼフィランサスに下賜(かし)したという部屋。それを見ての第一声。
 ここに辿りつくまでにも数々の扉が廊下に並んでいたが、その中でも明らかに劣る粗末な扉。嫌な予感はした。したが――
 部屋は一間だった。大の男が両手を広げて転がる程の広さもない。扉を開けてすぐに全体が見渡せてしまう狭さ。
 そして、壁に吊るされ、あるいは、立て掛けられているのは……。
「ちょっと!」
「どうしたのだ、我が姫?」
「これ、どう見ても掃除用具入れじゃない!?」
 箒(ほうき)や塵取(ちりとり)、雑巾(ぞうきん)、バケツ……おおよそ掃除には困らないだろうものが一式揃っている。が、当然だがベッドはない。ここで漸く、心配になって姫の部屋を見に来たゼフィランサスの真意を理解した……。
「どういうつもり?」
 真っ向から見据えて詰め寄ると、魔王はふ……と口の端を持ち上げた。
「つまり、これが我が愛なのだ。そなたへの」
「はぁ~?」
 余りにも意味不明で、間抜けな声を出してしまった。
「そなたに贈った部屋とこの男にあてがった部屋が同じ程度であっては、我が愛の深さを示すことが出来ぬではないか。そなたの望み通り、我が愛の大きさを形にしたまでよ」
 魔王は堂々と言った。
 何故だろう……。やっていることは滅茶苦茶なのだが、言い得て妙な気もする。
「と、とにかく……。普通の部屋にしてあげて」
「ならば、姫の部屋をもっと良くせねばな。さて、何処から手を――」
「付けなくていい! 私の部屋はあのままでいいから!」
 姫の必死の説得の甲斐あって、ゼフィランサスは同じく一間だが、ベッドのある部屋へと移ることが出来た。広さは……まぁ、ベッドの倍程度ではあったが。

 翌朝――
 
 魔王の朝餉(あさげ)に招かれたユズリハは、朝陽の入る広々とした食事の間へと案内された。広大な部屋の中央には、清楚な白いクロスの掛けられた縦長のテーブルがある。魔王がユズリハの為にと付けてくれた侍女の一人が椅子を引いてくれ、ユズリハは腰を下ろした。
 魔王は既に席についていた。向かいに座ったユズリハを、悦に入ったように見ている。
「な、何よ……?」
「見惚れておった」 
「――」
 手近にあるフォークを投げ付けたい衝動に駆られたが、ぐっと我慢する。
「そ、そう」
 と、視線を逸らして素っ気なく返した。
 しかし、魔王はユズリハの頬が僅かに赤く染まっていることを見逃さなかった。追い打ちをかけるかのように、ユズリハの麗姿を褒めそやす。
「剣を携えたあの凛とした勇姿も良かったが、そのドレスも似合っておるぞ」
 ユズリハは、魔王に戦いを挑んだ時の殺伐とした旅装ではなく、レース飾りやフリルがふんだんに使われている純白のドレスに身を包んでいた。金色の髪はおろし、紫水晶(アメシスト)と青玉(サファイア)を散りばめた繊細な細工のティアラをさしている。身の回りの世話をする為に遣わされたという数名の侍女達が、衣装棚からドレスやその他装飾品を姫の意見を聞きながら選び、身支度を整えてくれたのだ。
 自ら仕立てさせたドレスや宝飾品が愛する姫をより一層美しく見せていることに、魔王は喜んでいるようだった。食事をする間にも、思い付いては賛辞を送り、実に満足げだ。
 初めは頑なだったユズリハも、そんな風にあけすけに嬉しそうにされると、ほんの少しだが、そんな無邪気な魔王を……ちょっと可愛いかも、などと思ってしまう。
 ――って、何考えてるのよ、私は。
 ちらりと、あくまで気付かれないようにと魔王を窺い見る。
 自信に満ちた深紅の瞳、僅かに口の端を引き上げ、威厳を備えた口元。魔王たらしめる尊大で横柄な態度、そして昨日、目の当たりにしたあの問答無用の強さ。……可愛さの欠片もない。可愛いだなんて、一体、どうしてそんな感想を抱いてしまったのか。
 自己嫌悪のように悩んでいると、最初からユズリハの視線に気付いていた魔王は、隠しきれずにくつくつと笑い声を上げ始めた。
「良いものだな、そなたに見つめられるのは」
「っ、料理に見惚れてるのよ」
 止まっていた手を動かし、慌ててスープを口に運ぶ。勿論、動揺を悟られないよう、あくまで優雅に。じゃじゃ馬姫の異名を持つ彼女だが、流石に宮廷作法は一通り心得ている。
 誤魔化す為にするりと出てしまった言葉だったが、一国の姫でさえも見惚れてしまう程、本当に豪華なものだった。
 果物がきれいに盛られたクリスタルの器が中央に置かれ、目の前には、美味しそうに湯気を立てているスープ、上等な肉を使ったステーキ、見たこともない魚のエスカベージュ、肉と野菜を彩りよく炒めたソテー、そして果肉の入った赤く透き通ったゼリー等、見た目も味もどれも一級品だ。
 魔王は、赤い葡萄酒の注がれたグラスを傾けながら訊いてきた。
「どうだ、味は?」
「……美味しいわ」
 何だか意地を張るのにも疲れてきて、気が付けば素直な感想を述べていた。
 ユズリハのグラスには、酒精のない甘い香りの果実水が注がれている。
 ――酔わせてどうこう、という気もないみたいね。
 本当に調子を狂わせる男だ、と内心で思う。少しでも手籠(てごめ)にしてやろうという素振りを見せてくれれば、いっそ抵抗出来るのに。
 そんなことを考えながら果実水を口に含み、そういえば、と顔を上げた。
「ゼフィーは?」
 朝からまだ一度も顔を見ていない。
「何だ、気付いておらんのか。そなたが参るより先に、とうに来ておるぞ?」
 え、来てる? 何処に…… 
 ユズリハは広い部屋を見渡し、そして見つけた――。
「ゼ、ゼフィー!?」
 宮廷作法そっちのけで、思わず叫んでしまった。
 テーブルから離れた部屋の片隅に、彼は座っていた。床の上に、直に。
 磨き上げられた床の上には、正方形の無地の布が敷かれ、その上にパンと思しきものを一つ乗せた皿とコップが置かれている。
「あ、姫様。おはようございます」
 彼の落ちついた声が静かな広間に響く。
「ええ、おはよう……って、ちょっとっ!」
 ユズリハは、魔王に向かって声を荒げた。
「何なのアレは!?」
「ん、何を怒っておるのだ。気は進まなかったが、あの男も我らの朝餉に相伴(しょうばん)させてやったのだぞ?」
 相伴、アレが!?
「どう見ても、一人でピクニックしてるようにしか見えないわよ!?」
 ユズリハが抗議すると、魔王は側近たちに命じ、ゼフィランサスの席を魔王と姫の座るテーブルに近付けさせた。長テーブルの隣で、ゼフィランサスがちょこんと床に腰を下ろし、ささやか過ぎる朝食を前にしている……。
「これでどうだ?」
「私が言いたいのは、この差よ!」
 ユズリハはテーブルの上の豪華な食事を指差してから、ゼフィランサスの質素極まりない朝食をびしっと指差した。細身で小柄なユズリハなら耐えられるかもしれないが、大の男にパン一つなんて。殺す気だろうか。
「ああ、つまりこれが――」
「我が愛!?」
「おお、漸く気付いてくれたか」
 にこにこと嬉しそうに言う魔王に、ユズリハは少し躊躇(ためら)ってから言った。
「ねぇ、一つお願いしていい?」
「ん、何だ? 望みがあるならば、言ってみよ」
 ユズリハは、すっと深く息を吸ってから、ご機嫌な魔王に向かって告げた。
「私への愛を、少しゼフィーに分けてあげてちょうだい――」

「何なのよ、もう……」
 朝のことを思い出しながら、ユズリハはベッドの上に転がった。
 その様子を見て、ゼフィランサスが少し面白そうに言う。
「愛されてますね、姫」
「愛……」
 今まで、愛は目に見えなくて、漠然としていて。
 なのに、魔王の愛は目に見えるようだ。いや、見えすぎるくらいなのだが。
 ……って、何も見えない、見えないわ! 
 ユズリハは、ぶんぶんと首を振った。
「そ、それより、ゼフィー……また来てるけど大丈夫なの?」
 ベッドの上に突っ伏しながら視線を上げると、魔物達の目を盗んで、今度はひょっこりとテラスから現れた彼は笑んで答えた。
「もし魔王に殺されそうになりましたら、また愛のおすそ分けをお願いします」
 ゼフィランサスの軽口に、ユズリハの目がすいっと細くなる。そして彼が笑みを崩さないのを見て溜息を落とし、独り言のように呟いた。
「まぁ……あの魔王は殺すなんてしないでしょうけど」
 何だかんだ、悪い奴ではないのだ。そこがまた憎いというか、胸の奥がもやもやするというか、妙に落ちつかない気分にさせる。
「もう、いらいらするわね……」
 魔王から贈られた紅玉(ルビー)の首飾りを指先で弄びながら、ぶつぶつと呟く。
 こんな風に心をかき乱した、その責任をとってもらわないと何だか気が済まない。そんな気がしてきた。
 自分でも良く分からない感情に流されながら、ユズリハは策を練り始めた。

 夜回りの魔物達を残して城が寝静まった頃、ユズリハはむくりとベッドから起き上がった。
 魔王の城に滞在するようになって、七日目の夜のことである。 
 そっと床の上に足を降ろし、足音を忍ばせながら扉へと近づく。そーっと開いてみて、誰もいないことを確認してから部屋を抜け出した。
 申し訳程度の蝋燭の灯りを頼りに、足音を響かせないようにと注意を払いながら、廊下を突き進んでいく。
 城の間取りは、この七日間でほぼ完璧に頭に入れた。それというのも、足しげくユズリハの部屋へとやってきた魔王に、デートという名目のもと連れ出され、城内ないし城外を十二分に散策する機会に恵まれたからだ。
 まるで、迷うことを前提に造られたかのように入り組んだ城内を、しかし的確な順路で進み、夜回りの魔物達に気付かれないよう息をひそめながら、漸く目的地に辿りつく。
 岩山に面した北東の部屋――魔王の寝室だ。
 柱の陰からこっそり覗き見るが、当然いるだろうと思っていた見張りの姿はない。
「随分、不用心ね……」
 思わず、呟く。
 何しろ彼女は、魔王の寝込みを襲いにここに来たのだから――。
 幾度となく魔王に戦いを挑んできたが、全て簡単に、むしろ楽しそうにあしらわれてしまった。こうなれば、もう、奇襲しかないではないか。
 意を決し、ユズリハは魔王の寝室の扉をそろそろと開いて部屋の中へと滑り込んだ。
 燭台の炎が室内を朧げに照らしている。
 薄闇の中、ユズリハは物音をさせないように、ゆっくりとベッドへと近づいていく。
 天蓋から下げられたカーテンの向こうから、微かだが寝息が聞こえる。
 ここから、得意の精霊魔法で一気に――
 拳をぎゅっと握りしめ、呪文を唱えようとするが、ふと躊躇(ためら)う。
 ――やっぱり、寝てるとこをいきなり襲うなんて、卑怯……よね。一声かけてから襲った方がいいかしら……? 今から襲うけど、避けないでね、って? 
 ユズリハは心中で眉を顰めた。……それは奇襲とは言わない。
 ……やっぱり、ここはひと思いに?
 しかし、そうは思うものの、中々攻撃に踏み切れない。
 考えてみれば、魔王は今日に至るまで、一度たりとも卑怯なことはしなかった。それは、する必要もないほど強いってことなのだけれど――
 そこでユズリハは、はっとなる。
 ――これだけ強い魔王とやりあったのに、私、かすり傷ひとつ負ってない。
 手加減されていたのは分かっていた。だから、余計にむきになって挑んだ。けれど、そんなユズリハの相手をしながらも、彼はずっと気遣ってくれていたのだ。
 彼女を傷つけまい、と。
 ユズリハはベッドに背を向けた。
 来た道を戻ろうと、扉へ向かって足を一歩踏み出そうとした、その時だった。
「何だ、もう帰るのか?」
 聞き知った低い声が夜陰を貫き、ユズリハはびくりと肩を震わし、その場に縫いとめられた。跳ね上がった心臓に静まるようにと言い聞かせながら、恐る恐る振り返る。
 閉まっていた筈のカーテンは開いていた。ベッドの縁に腰掛け、悠々とユズリハを見つめる魔王の姿が、揺れる燭台の炎に照らされ、ぼんやりと浮かび上がっている。
 その口元に、ふっ……と意地悪そうな笑みが浮かんだのが、気配で分かった。
「気付いてたの……?」
 ユズリハが問い掛けると、魔王はいつもの調子で口を開いた。
「気付いていた、ではなく気付いたのだ。愛しいそなたの気配に、我が気付かぬわけがなかろう?」
 そして魔王は、近くに来るようにと、僅かな手の動きで示した。
 忍び入った後ろめたさもあってか、ユズリハは躊躇(ためら)いながらも、静かに魔王の方へと足を進めた。一歩、また一歩と近づき、手を伸ばせば触れられる程近付いてから、言う。
「私が何をしに来たか、分かってるんでしょ?」
「夜這いか?」
「違っ――」
 顔を赤らめた途端いきなり腕を引かれ、ユズリハはバランスを崩して魔王の胸に倒れ込む。そのまま身体を返され、柔らかな衝撃を背中に受けたのも束の間、ベッドの軋む音と共に魔王に組み敷かれてしまう。 
「何するのよ!」
 ユズリハを両の腕の間に閉じ込めながら、魔王は楽しげに口の端をつり上げた。
「これがそなたの望みではなかったのか?」
「はぁ!?」
「だから、夜這いだろう? ――ああ、これでは逆だな。我が下にならねばならぬか?」
 魔王の深紅の瞳が、面白そうに見下ろしてくる。
 ユズリハの顔に一気に朱がのぼった。
「あなた、私のことからかってるでしょ!?」
 案の定、くくく……と、魔王は笑い声を漏らした。
 ユズリハはますます赤くなる。怒りではなく、羞恥で。
「み、見張りもいなかったし、私が来ることも分かってたんでしょ?」
 魔王はユズリハの耳元近くまで顔を下げ、囁いた。
「そなたのように可愛い刺客ならば大歓迎だ」
「~っ」
 平手打ちしようにも、両方の腕を優しくベッドに抑えつけられてしまい、歯噛みすることしか出来ない。全てが彼の手の内だ。悔しくて何か言ってやろうと思うのに、言葉が出て来ない。ただ、鼓動だけが速くなっていく。
 顔を赤らめたまま黙り込んでしまったユズリハを、魔王はひたと見つめる。
「ところで、まだ見えぬのか?」
「な、何が?」
 早鐘のような鼓動に急きたてられ、ユズリハは語気を強めて訊き返す。
 すると、夜目にも鮮やかな魔王の深紅の瞳に、妖艶な輝きが加わった。
「そなたは薄情だな。我は、今もこうして目に見える形で愛を示しておるというのに……」
「……な」
 魔王の艶めいた美声にどきどきしながらも、ユズリハは拘束されている腕に力を籠める。
「あ……愛って……押し倒されてるようにしか見えないんだけど?」
「それはそうだ、押し倒しておるのだからな。これは、そなたを離したくないという我の愛だ」
 ユズリハは耳まで真っ赤になった。
「そそそそんなもの見えないわよ!」
 赤くなった顔を隠すように首を傾け、ぷいっと視線を逸らした。
「そなたは強情だな」
 薄情でも、強情でも結構、とユズリハは心の中で毒づいた。
 それよりも今は、一刻も早くどいて欲しい。さもなければ、いつまでたってもこの鼓動がおさまる気がしない。
「本当に見えぬのだな?」
「しつこいわね! 見えないわよ」
 視線を合わさないまま答えると、
「では、仕方があるまい。我はそなたを傷つけまいと、これまでそなたを労(いた)わってきたが……」
 その言葉に、ああ、ついに……とユズリハは力なく思う。
 魔王を怒らせてしまった。
 速かった鼓動が急に冷えたように聞こえなくなる。あんなに拒んできたのに、喪失感のようなものが胸の内に広がった。
 何、これ。私、がっかりしてる? そんなこと……
 心の変化に戸惑っていると、ユズリハの右腕を掴んでいた手がふと緩んだ。
「ここまで尽くしても、我が愛が見えぬと言うならば……」
 魔王の手が、ユズリハの右頬を優しく撫でる。
「そなたがこれまで受ける筈だった傷を、あの男に負ってもらうしかあるまい」
 ………………。……は?
「……意味が分からないんだけど?」
 嫌な予感だけはしたのでおずおずと尋ねると、魔王はさらぬ顔で言う。
「言葉のとおりだ。そなたが受ける筈であった傷をそなたが受けなかったのは、我が愛によるものだ。しかしそなたは、それが見えぬと言う。となれば、その傷を見えるようにするしかあるまい?」
 え、と、それはつまり……?
 泳ぐような視線で説明を促すと、魔王はさらりと残酷な計画を披露した。
「そなたが受ける筈だった傷を、あのゼフィ何とかとやらに肩代わりさせるのだ」
 なななななな!?
 魔王の恐ろしい発言に、ユズリハは総毛立つ。
「何でそうなるのよ!?」
「あの男の瀕死の姿を見れば、そなたも我が愛を認めざるをえないであろう」
 これまでの魔王との戦いを想起し、ユズリハは青ざめた。
 命があればまだいい。魔王の魔法に、魔法が使えない騎士である彼は、何処まで耐えることが出来るだろうか……。
「ああ、それと」
 魔王は更に不安要素を付け加える。
「食事も考え直さねばなるまい? そなたへの愛をあの男に分けよ、とそなたは我に願ったが、そなたは我が愛が見えぬのであろう? 流石の我も、ないものを分けてやることは出来ぬぞ?」
 ユズリハの頭の中で、魔王の言葉が渦を巻く。
 だめだ。間違いなく餓死する。
「では、早速あの男を叩き起こ――」
「ま、待って!」
 離れていく魔王の腕をユズリハは勢いよく掴んだ。
 魔王は待ち構えていたかのように、縋りついてきたユズリハを振り返る。
「何だ、そなたの願いならば、聞いてやらないこともないぞ?」
 全てを見透かすその意地悪気な瞳を前に、ユズリハは小さく息を吸った。呼吸を整え、やっとの思いで口にする。
「お願い……私への愛をゼフィーに分けてあげて」
 改まって言うには恥ずかしい言葉のように思えて、最後の方は意図せず小声になってしまう。
 頬を赤く染めながら身構えるユズリハを愛しげに見つめてから、魔王は後ろからふわりと抱き締めた。
「よかろう。それはつまり、我が愛が見えたということだな」
 ユズリハは、ぐっと押し黙る。
「我が愛が見えたから、そなたは愛を分けよと言ったのであろう? 我との約束も勿論覚えておるな?」
「や、約束……」
 言い淀むユズリハに、魔王は耳元で囁くように言う。
「我が愛が見えれば、そなたは我が妻となると約束した」
「~っ」
 ユズリハは反論することが出来ない。
 二の句が継げずにいるユズリハは、ふと喧嘩別れした父のことを思い出した。
 魔王に嫁ぐなんて言ったら、父は卒倒するに違いない。何しろ、魔王と言えば悪名轟く魔物達の王なのだ。
 わ、私には優しいけど……。
 魔王の温もりを背中から感じながら、ユズリハは気に掛かっていることを、思い切って尋ねてみることにした。
「ねぇ……」
「ん、どうしたのだ?」
「その……あなたは、魔王……なのよね?」
 虚を突かれたような間があった。当然だ、今更である。
「それがどうかしたのか?」
「色々、悪さをしてきたのよね……?」
「悪さ?」
 魔王は、はて、という顔をする。
「だ、だって。魔王は、悪逆非道の限りをつくす魔物達の王……でしょ?」
 そう教えられたし、誰もがそう噂している。
 緊張しながら答えを待つユズリハに、魔王は顎に手を添えながら短く問い返した。
「我は何をしたのだ?」
 え……。
 その問いは予想外だったので、ユズリハは答えられなかった。
 いや、答えられないのは予想外だったからではない。
「え……と、何をしたの?」
 具体的な事例を思い付けずに、不毛にも訊いてきた本人に疑問を投げ返してしまう。
 魔王は笑いながら答えた。
「訊いたのは我だぞ。だが、そう言うことだ。我は何もしてはおらぬ」
 ユズリハは目を瞬いた。
「何もしてない……?」
「そなたが何も答えられぬのが、その証拠であろう。大体、我がその気になれば、この世界に君臨することは容易(たやす)い。そうは思わぬか?」
 確かに、それはそうだ……とユズリハは思う。魔王の力は桁違いだ。どれだけの人間が束になってかかったところで、彼は笑いながら蹴散らすことが出来る。こんな北の地で大人しくしている必要はない……。
 そもそも、と魔王は続ける。
「我が睨みを利かしておるから、生来気性の荒い魔物達も静かにしておるのだ。それでも、時折我の目を盗んで町で悪戯をする者はおるから、困ったものだ」
 溜息をつき、ああ、そういえばと言を継ぐ。
「いつだったか、我が城に秘宝があるなどという噂がたち、唐突に攻め入ってきた無法者達がおった故、仕方なく返り討ちにした。それが、いつしか国一つを滅ぼしたと言われるようになり、それ以後ぱたりと近付く者はいなくなったが……」
 ユズリハを抱き締める腕に、少しだけ力を籠める。
「誰も来ぬようになって少々退屈しておったところに、我を倒しに来る者がいる、と手下から報告を受けた」
 え、誰が……と訊こうとし、ユズリハは口を噤む。……私だ。
「あんなに刺客を放ったのは悪かったと思うが……皆、可愛い娘にやられたとショックを受けて帰ってきたぞ?」
 ユズリハは恥ずかしさに俯いた。
「……わ、私が凶暴みたいじゃない」
 魔王は笑い声を上げた。
「まぁ、そんなそなたに我は一目惚れしたのだ」
 魔王はそう言うけれど、何だか複雑な気分だ。けれど、肖像画一枚で一目惚れしたとかいう何処ぞやの王子よりはいいかもしれない。……と、矜持を保ちつつ思う。
「で、どうだ? 我が愛は見えたのであろう?」
 その問いにユズリハはどきりとするが、覚悟を決めて振り返る。
 魔王の深紅の瞳と目が合った。
「……ちょっとは見えたかも……ね」
 何処までも強情な姫の顎を、魔王は笑いながら上向かせる。
 あ……と漏れたユズリハの吐息ごと奪うように、魔王は優しく接吻(キス)を落とした――。

 ルナセレネア王国の王城から、王の驚愕の声が上がった。
「な、何~!?」
 書状を手に、わなわなと震えている。
 家臣の一人が何事かと尋ねると、王は上気した顔を急に蒼白にし、茫然と答えた。
「婚儀の招待状だ……」
「婚儀。それはめでた――」
「めでたいものか! 姫が、姫が……姫が……」
「姫様がどうされたのです?」
「姫が……魔王と結婚するというのだ……」
「それはめでたい……ええ!?」
 事態を知った家臣も、王と同じように驚愕の声を上げる。
「ええい、ゼフィランサスは何をしておるのだ! 誰か、誰か姫を~っ」
 王の半狂乱の声がいつまでも響いていたが、相手があの魔王だと知れば、誰も名乗りをあげる筈もなかった……。

【終】