一話(3)
詞子は戸口の際まで出て、矢先を異形の者へと向ける。二人がかりでも、しょせんは女の細腕、長くは構えていられない。詞子は葛葉とともに弦を思いきり引っぱり、叫んだ。
「――止まりなさい!」
雷鳴の中、凛と響いた声に、鬼が振り返る。
「いい? 一、二……」
矢から手を離した刹那、轟音とともに青白い閃光が走った。
「……どこかに当たったのかしら?」
「ここからではよく見えませんね」
「あちらの格子を上げれば、見えるかもしれません」
呆然と立ちつくしている父親を押しのけ、気絶している女房たちを踏み越えて、淡路が持ってきた燭台の灯りを頼りに、詞子らは鬼のいた辺りの庭に面した格子戸を上げた。
鬼は艶子に覆い被さるようにして倒れていた。矢がどこに刺さっているのかは見えないが、よろめきながら立ち上がった鬼は、左脚を押さえている。
「いまのうちに、誰かあの子を連れ戻しなさい」
詞子の言葉に、凍りついたように動かなかった家人たちが我に返り、妻戸を開けて次々と外に出ていく。それを見て、鬼は一瞬迷ったようだったが、艶子をその場に残して踵を返すと、足を引きずりながら門のほうへと走り去った。
「……」
詞子は、鬼の姿が消えた闇を、じっと見つめていた。
家人たちに担がれて、全身ずぶ濡れで泥まみれになった艶子が部屋に運び込まれてくると、女房らが気まずそうに顔を見合わせながらも、ほっとした様子で隠れていた几帳の陰から姿を見せる。
「ああ、恐ろしかった……。何だったのでしょう、あれは」
「きっと鬼ですわ。こんなひどい雷雨の夜ですもの。鬼が山から下りてきたのでしょう」
「まあまあ……姫様、御髪を拭きませんと。男たちはお下がりなさい。ああ、こんなに汚れてしまって……姫様があまりにお美しいから、鬼も魅入られてしまったのですわ」
「……によ……」
艶子が、ゆっくりと顔を上げた。濡れた髪が頬に張りついている。
「何よ――何よ何よっ! 誰もあたくしを助けないで……!」
「で、ですが姫様、相手が鬼では……」
「そっ、そうですわ! 男衆がだらしないんですのよっ」
口々に言い訳を始めた女房たちを、艶子はきっと睨みつけた。
「何よ! 鬼ぐらい、うちにだっているじゃないの!」
皆が一斉に、詞子を振り向いた。
詞子は黙って、まだ弓を手にしたまま立っている。
「……あんたね?」
雷鳴よりも低く、艶子がつぶやいた。
「鬼姫。……あんたが仲間を呼んだんでしょう」
「……わたくしが?」
「そうなのね。そうなんだわ。そうでなきゃ、あんなものがうちに入ってくるなんて……!」
艶子のきつい口調に、女房たちも非難めいたどよめきを上げる。その様子に、詞子の背後で葛葉が呆れた顔をした。
「助けてもらっておいてよく言いますね。大方ここの誰かが見境なく色目を使って、鬼や物の怪の類いまで呼び込んでるんじゃないですか」
「何ですって!?」
「……ああ葛葉、また余計なことを……」
ますます大きくなった抗議の声に、淡路が頭を抱える。
「艶子」
罵倒に近い女房たちの言葉を黙って聞いていた詞子が、目を吊り上げている妹を、静かに見つめ返した。