二話(1)

「白河の鬼姫?」
 口に運びかけていた酒の杯を持ったまま、雅遠は集まった友人たちを見た。
「聞いたことないか、雅遠」
「ない」
 都は四条――太政大臣不在のいま、人臣のうちで右大臣と並ぶ最高位である左大臣、源雅兼の邸宅は南北二町を占め、庶民の家ならゆうに何百軒と納まるほどの広大な敷地に、主の住まう寝殿と、その子供らが使う東西北の対の屋があり、それぞれに数多の雑色、女房たちが仕えている。
 如月の吉日、この四条の邸宅では、花見の宴が催されていた。
 朧月の下、庭には篝火が焚かれ、いまが盛りの桜の花を照らしている。招かれた人々は、池に浮かぶ舟から聴こえる管弦の音に耳を傾けながら、酒を酌み交わし、あるいは歌を口ずさみ、またこの家の女房に戯れに声をかけたりしながら、それぞれに楽しんでおり、そんな中、寝殿南側の広廂では、雅兼の息子である雅遠を、数人の年若い公達が囲んでいた。
「鬼姫って何なんだ。鬼の娘か?」
「中納言の娘が、そう呼ばれてるんだよ」
 雅遠は杯をひと息にあおり、その甘みに顔をしかめ、茄子の漬物に手を伸ばす。
「そう言ってもな、中納言はいま四人いるだろう。どの中納言なんだ」
「二条中納言だ。ほら、藤原の」
 友人たちの苦笑交じりの表情を見て、雅遠も頷いた。
「ああ、あの右大臣の気に入りで、最近やけに出世の早い……」
「それだ、それ。そこの娘のことだよ」
「ふーん……。二条中納言には、そんなに恐ろしい娘がいるのか」
雅遠は笙や笛の音をまるで気にする様子もなく、こりこり音を立てて茄子を噛んでいる。
「二条中納言には娘が三人いる。聞いた話では、中の君はかなりの美人らしい。三の君は、まだ裳着の済んでいない子供らしいから、どうなのか知らないが……」
「ということは、一番上の娘が鬼なのか」
「しかし、二条中納言の大君の噂など、女の話に疎い雅遠はともかく、我々ですら、聞いたことがなかったではないか。急に話題が出てくるとは、どういうことなのだ?」
 一人の言葉に、いま女の話に疎いと言われたばかりの雅遠以外の公達は、一斉に頷いた。
「確かに。中の君の話ならよく聞くぞ。十五だったか、年のわりに色気のある美人だと」
「あそこの女房たちは、大君のことをまったく話さないらしいが」
「女のことなら――あの御方に訊くのがいいのではないか?」
 今度は焼いた貝をつついていた雅遠に、皆の目が集まる。
「……兵部卿宮なら、あっちの女房たちのところで飲んでるんじゃないのか」
「やっぱり……」
「どこでもここでも女を独り占めするんだな、あの御方は……」
 額を押さえてうなだれる友人たちの姿に、雅遠は笑って、近くに控えていた女童に、兵部卿宮を捜してくるように告げた。ほどなく、すらりとした立ち姿も美しい貴公子がやって来る。先の帝の末弟、兵部卿宮の敦時である。
「まったく、何事かな。せっかく美しい花を愛でていたというのに、こんなむさくるしいところに呼び出されるとは」
「よく言いますよ。愛でておられたのは何の花だか……」
 ぼやく友人の横の、空いている円座を指して、雅遠は敦時に座るように促した。
「呼び戻してすみませんね、宮。世の女どもを貴方に独占されて困ってる俺の友人どもが、ぜひとも宮に話をお聞きしたいって言ってるもんで」
「それは珍しい。それで、誰の話が聞きたいのかな」
「鬼姫とかいう女の」