七話(1)
わかってはいる、のだ。
別に女が嫌いなわけではない。ちょっと垣間見て、悪くはなさそうだと思った女もいる。だが、世の中に倣って恋歌を贈ると、間違いなく笑われたり呆れられたりするので、そこでもう、気持ちが萎えてしまう。
……どうせ俺は、恋に向いてないんだ。
歌を詠むのが苦手だというのもあるが、そもそも世間の男どもが、話したこともない、それどころか会ったことも、ろくに顔を見たこともない女に、どうやったらあそこまで入れ込むことができるのか、そこが不思議でならないのだ。
あそこの家の女は美しいらしいと噂が立てば、皆がその女の気を引こうと殺到する。つられて自分も見にいって、こっそり顔を拝むことに成功してみれば、どこにでもいるような女だった――ということも、何度かあった。そうなると、噂も当てにならない。
……恋なんか、つまらん。
馬の歩みが止まって、雅遠は我に返った。いつのまにか、鴨川沿いまできている。これからどこに行くのかというふうに、愛馬が首を大きく振った。
「ああ、ぼんやりしてた。悪かったな、玄武」
玄武は雅遠自慢の、黒毛の駿馬だ。せっかく気晴らしをするために出てきたというのに、考え事など、もったいない。
「いい天気だ。――五条から川を渡って、山桜でも見に行くか」
雅遠は気の向くまま、橋を渡り上流のほうへと愛馬を走らせた。この辺りは庶民の住まいや寺、貴族の別邸などが点在しているが、やはり街中よりは静かだった。
風は少し冷たいが、陽射しはあたたかく、気持ちがいい。馬の足も軽く、山のほうまで行くうちに、また川が現れる。
雅遠は手綱を引き、歩を緩めた。――白川だ。
そういえば、白河には当分近づかないほうがいいと、誰かが言っていたが。
……鬼姫、ねぇ。
雅遠は馬上で、苦笑する。その姫君が本当に鬼を呼び寄せたというのなら、どうやって呼ぶのか、むしろ見てみたいものだ。
どこからか飛んできた、小さな桜の花びらが一枚、雅遠の萌黄色の狩衣の袖に張りついた。近くで咲いているのだろうか。
橋を探して川を渡り、道なりに進んでいると、ふいに白っぽいものが物陰から飛び出してきて、雅遠は慌てて馬を止めた。
猫だ。白地に黒い模様があり、ふてぶてしい面構えで、行く手を遮るように道の真ん中に立っている。
「……何でこんなところに……」
雅遠は馬から下りて、まじまじと白黒の猫を見た。猫は普通、屋内で、繋いで飼うものだ。外で見かける生き物ではない。どこからか逃げてきたのでなければ、こんなところで遭遇することなどあり得ないのだが。
猫は面食らっている雅遠を見上げると、まるで一緒に来いと言っているかのように、先に立って歩き始めた。つられて雅遠は、馬を連れて後からついていく。
周囲をよく見ると、道の先に朽ちかけた築地が続いていた。ちょっとした大きさの屋敷があるらしい。もしかしたらこの猫は、ここで飼われているのだろうか。だとすると、この屋敷には誰かが――
「あ」
猫が築地の角を曲がり、その先にある門から中へ入っていった。
門構えは悪くない。身分のある誰かの別荘だろうか。門前で逡巡していると、さっきの猫が、自分を待っているように立ち止まり、こちらを振り返っている。
「……」
雅遠は築地の脇に生えていた立ち木に馬の手綱を結わえ、思いきって門の内に足を踏み入れた。――見渡す範囲には、誰もいない。
少し寂れたふうだが、対の屋があり、車宿も中門もある。これなら四位以上の貴族の別荘と言ってもいいくらいかもしれない。しかし、そのくらいの身分の者が住んでいるなら、誰かが出てきてもよさそうだが。
いーっ、と妙な声で、猫が鳴いた。雅遠を促すように、しきりに尻尾を振っている。
「おい。……まさか、おまえがこの家の主じゃないだろうな?」
白河には猫の御殿があった――などと、話の種にしても面白いだろうか。雅遠は猫に誘われるまま、中門をくぐった。
「……」
頭を上げた途端、視界が桜色に染まる。
花。
色鮮やかな、見事な枝振りの、大きな枝垂れ桜。
地につくほどに伸びた枝は、花が咲いていなければ、柳と見まがうかもしれない。