(20)
そうして、アジェンセンの大公夫妻が、月明かりの下で遅い夕食を取った、その翌朝…、
「殿下、お急ぎ下さい! あと三分で会議が始まってしまいます」
どんどんどん、と、大公専用のトイレのついたてを叩きながら、目下、大公の忠実な秘書官であることを自称するマシアス=ソアソン男爵は叫んでいた。
「聞いていらっしゃいますか、殿下。ここにいるんでしょう。
あなたはもうとっくに包囲されています。無駄な抵抗はおよしなさい!」
「だーっ、うるさいぞ。マシアス!」
その、大公殿下ことルシードは、大きく穴の開いたトイレ用の椅子に腰を下ろした情けない格好で、きりきりと絞られるような腹の痛みに、必死で耐えていた。
「出られるもんなら、俺だって出ている! だがしかし、ううっ……」
昨日、食べ過ぎてしまったせいか。それとも、ルシードの料理が悪かったのか、なんと、ものの見事に彼は腹をこわしてしまったのだった。
すると、マシアスが心底呆れきったように、
「ですから、無謀なことはなさらずに、宝石や髪飾りのようなものを差し上げていればよろしかったのですよ。それを、いい恰好をして…」
と、今更なことを言う。
「なっ」
椅子に座ったままの情けない恰好で、ルシードは叫んだ。
「おまえだって、あいつがそんなもので喜ぶように見えないって言っただろうが!」
「まあ、確かにそうですが」
誕生日を知らないジルのために、無理矢理今日祝ってしまうと決めたものの、ルシードには、彼女に何を贈るべきかが、さっぱりわからなかった。
彼女が興味がありそうなものと言われて思い付いたのは、毒草や、ヘビやコウモリといったあの北の塔に山ほどあるものばかり。
さすがに、そんなものを贈る気にはなれない。それに、彼女以上に詳しい人間もほかにいそうにない。
悩んだ挙げ句、ルシードは、ジルが食い意地を張っているというところに目をつけたのだった。
はーっと溜息して、マシアスは言った。
「やはり、男の手料理なんて食べるもんじゃないですね。勧められても、手を付けないでよかったです。死ぬところでした」
「なんだとう!」
ルシードは、再度呻った。
「あの女だって、俺の作った飯をたらふく食ってたじゃないか。なのに、なんであけなんともないんだ。おかしい! やっぱりあいつはどこかおかしいぞ、マシアス!」
「…………まあ、なんにせよ、慣れないことをするのはよくないということで。
さあ、うだ話はこれくらいにして、出すか出るかどっちかになさい。殿下、あと二分ですよ!」
パンパン、と急かすようにマシアスが手をたたく。ルシードが異議を申し立てた。
「ぐあー、いてえ!」
「早く出しなさい!」
「無理!!」
「じゃあ、本体が出てきなさい!」
「もっと無理!!!」
迫り来る腹痛の並と、せき立てる秘書官の声に、ルシードはたまらず断末魔のように叫んだのだった。
「ああもう、二度と料理なんてするかーー!」
そうして、
――大公殿下の気の毒なうなり声は、その日一日中、トイレから響き渡っていたという。
<了>
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