(3)
「もういい、マシアス! 俺は起きた、起・き・た・ぞ!」
枕元に立つマシアスを見上げれば、案の定、彼はしてやったりという顔でいた。
「おそようございます、殿下。いい朝ですよ」
「……おまえな、もうちょっとましな起こし方があるだろう」
彼は、主人のとは正反対の表情で、ふふん、と笑った。
「欲望に忠実すぎる殿下がいけないのですよ。もう少し自制というものを覚えて下されば、このような乱暴な事は致しません」
と、マシアスは、何を思ったかすっとその場に膝をついた。騎士が忠誠を誓うときのように、投げ出されていたルシードの足先にそっと触れる。
「……ですが、爪の傷、大分よくなりましたね」
「あたりまえだ。もう十日も前のことだろう」
彼は、血の滲んだあとのあるルシードの足の指をまじまじとみつめ、ほっとしたように息を吐く。
「不器用なんですから、慣れないことはなさらないでください。足の爪くらい、私が切ってさしあげますから」
「…べつに、この間は、たまたまだ。それくらい自分で出来る」
ルシードは、いささかむっとして、足を腰元に引き寄せた。
自分で出来るという発言などまるで信じていない顔つきで、マシアスは笑う。
「ま、そう遠慮なさらずに。存分にお使い下さい。臣下というものは、上手く使ってこそ価値があるものですよ」
「それこそ、お前は、俺の爪を切るために側にいるんじゃないだろう」
「殿下に健やかにお過ごし頂くため、努力をおしまないのも、私の務めのひとつでありますので」
まるで微笑ましいものでも見るように、マシアスは目を細める。
(くそう…、あいかわらず飄々と…)
ルシードは、むっつりと黙った。
マシアス=ソアソン男爵は、ルシードが唯一心を許せると言っても良い腹心の部下である。
そして、”同盟者”…。ルシードの本心を知り、同じ野望を抱く数少ない味方のひとりでもあるのだ。
それに加えて、彼とのつきあいは、ルシードがこのアジェンセンの大公の位につく前から始まっている。自分の不器用さも情けなさも殆ど知られてしまっている彼相手に取り繕ってみても、いまさらまったく意味もない。
「……それで。
わざわざ、俺を参賀の日並に早くたたき起こした理由は何だ」
腹立ち紛れに、答えを求めたルシードだったが、
「まさか、お忘れですか。今日のご予定が一年に一度の…、つまり特別な日であることを」
「特別な日だと?」
マシアスの怪訝な顔に、改めて頭を働かせてみる。
(今日は、何かの祝祭日だったっけ?)
数ある国主の務めのひとつに、朝の一般参賀というものがある。
それは、朝も早くから王城の広場に集まった民に向かって、ありがたい言葉をかけなければならないというものだ。
それも、毎週。
早起きがなにより苦手なルシードにとっては、地獄のような週刊だったが、偉大なる初代大王ジハード=ロンギオンが始めた宮廷の習わしに異議を唱えられるはずはない。もちろん、寝坊なんてあるまじきことだ。
しかしながら、
(今日は、月曜日じゃない。だから、一般参賀の日じゃないはず…)
では、いったい何か。今日は、同じく週に一度の御前会議の日でもなかったように思うのだが…
ルシードは、ふと、隣にあるべきはずの姿がないことに気づいて言った。
「その…、なんだ、”あいつ”はもう起きてるのか」
すると、マシアスがあきれかえったように、
「当然です。妃殿下はすでにお着替えをすまされて、バルコニーの前でお待ちです」
「バルコニーで!?」
ルシードは再び、ぎょっとした。やはり今日は一般参賀があるのか。だとしても、月曜日でもないのにどうして…
自分の妃が、すでに参賀に出る準備を整えていると聞いて、ルシードは益々頭をひねった。
どうやらこれは、いつものようにぐずぐずと寝っ転がっているわけにはいかないようである。
「ですから、殿下もお早くご支度を。ああもう、なんという情けない顔でしょう、さっさとその涎を拭いてください。だれか、早く湯をもて。それと、急いで身支度部屋から、今日お付けになるものも取り寄せなさい。部屋に寄っている時間がない――」