(2)
「殿下、起きてください殿下。残念ながら、お目覚めのお時間です」
「ぐ」
すぐ耳元でささやかれた声に、ルシードは唸った。
(むう…、まだ…ねむい)
前述の通り、大公というのは大変な激務である。
したがって朝の起床時間になってもすぐに目が開けられないのは、断じて自分が寝汚いせいではない…、とルシードは思う。
「うう…、マシアス、あともう少しだけ……」
「なりません。すでに十二分と三十五秒の寝坊です。ここまで寝坊を許したのも、この私の温情あってのことですよ」
と、朝っぱらから不遜な物言いをするのは、ルシードの主席秘書官である、マシアス=ソアソン準男爵である。
「やだー…」
「やだ、じゃない。さっさと起きてください、殿下! 子どもですか!」
ぴしゃりと、彼はルシードを叱りつける。なんでたかが数十分寝坊を許してもらうだけで、こんなにも偉そうに言われなければならないのか…、と脳裏のどこかで思うルシードである。
「も、もう少しくらいいいだろう、マシアス。今日は…、だって一般参賀の日じゃないんだし…」
容赦のない秘書官の言葉を遮るように、ルシードはシーツを引き寄せ、頭からかぶった。
それは、枕元に立つ彼が持つ、時計の音が耳障りだったせいもある。
マシアスは、いついかなるときでも時計を手放さない。精密機械で知られる、ヴィスタンシア製の小型時計を片手に、分刻みでルシードをせかしてくる。
いくら、ルシードの予定を管理する秘書官といえども、少々やりすぎの嫌いがないでもない。
”時計男爵”というあだ名は、まさにぴったりだ。
「まったく」
はあ、と、マシアスは大きく溜息をした。
珍しく諦めてくれたのだろうか。ルシードは、寝ぼけた頭のまま、そんな期待をほのかに抱いたが、
「二度とはいいませんよ殿下。起 き て く だ さ い 」
「やだ、ねむい。どっかいけ」
「ほほう…。どっかいけと。忠実なる秘書官であるこの私に向かって、どっかいけと…」
シーツの向こうで、その忠実なる秘書官が剣呑な雰囲気をつのらせているのを、ルシードはたしかに関知した。
マシアスは、ふんと鼻をならした。
「――よろしいでしょう。起きてくださらないなら、私にも考えがございます」
「か、かんがえ?」
「そう。殿下がいつまでたってもお目覚めにならないというのであれば、いまからあなたさまの恥ずかしい過去をひとつづつばらしていきたいと思います!!」
高らかに、そう宣言した。
シーツの中でいもむしのようになっていたルシードは、思わずぎょっとする。
「……はあ!?」
「ひとーつ、
殿下は、男にコナをかけられたことがある」
「なっ?!」
突然の大声での暴露に、ルシードは糊ついていた目をがばっとこじ開けた。しかし、マシアスはそれでは納得いかないらしい。
彼は、なおもつづけた。
「それは、いまを去ること二年前、まだ妃殿下がお輿入れされていないときでした。某国の大使がいらっしゃったときに、殿下はあるお方のサロンで――」
「わーーーーーーーーーーーーっっ」
かき消すように大声をあげる。目の前にあるマシアスは、至極涼しい顔のまま、
「わーではありません。さっさと起きて身支度部屋に向かわないと、まだまだバラしますよ」
ルシードは、一気に青ざめた。
大公の寝室といえども、そこはタペストリで遮られた部屋にすぎない。そう大きな声で言われては筒抜けになる。
しかも、廊下には、ルシードの身仕度を調える朝の支度係が、ぞろりと勢揃いしているはずだ。
「よ、よせ、マシアス!」
「ふたーつ、先日よせばいいのに自分で足の爪を切ろうとし、失敗して深爪になったあげく、三日もまともに歩けなかった」
「ちょ、待てって、マシアス!!起きる。俺は起きる!」
ひそひそ、とタペストリーの向こうで女官たちが噂している声が聞こえてくる。なおも、マシアスは暴露を止めなかった。
「みいいっつ、
以前、ものもらいが出来たと言い張って顔を隠していらっしゃいましたが、その実、あれはお間抜けにも顔ソリのときにくしゃみをして、眉毛までさっぱりそり落とされてしまっていたからで……」
「うぎゃーー!!」
これ以上恥ずかしい過去をバラされてはたまらないとばかりに、ルシードは跳ねるようにして上体を起こした。