(18)
ルシードの口ぶりから察すると、おそらく、パルメニアにいる間、彼は両親から祝いの言葉さえもらったことがなかったにちがいない。
いまでこそ、彼は大公として国中から盛大に祝われる立場になった。彼の生誕日は国の祝祭日として認められ、多くの人間が彼の誕生を祝う。
けれど、それは、彼が本心から求めているものではない。
『誕生日なんてものは、誰かに祝ってもらうためにあるもんだ』
(あ――)
そのとき、ジルは、かつて自分の誕生日を尋ねたときの、母クラレンシースの言葉を思いだしていた。
『…誕生日なんていうものは、生まれてきてくれたことを祝えれば、それでいいのよ。正確には、祝ってくれるひとが側にいれば…』
ジルは、何年も前に聞いたはずの母の声が、たったいまゆっくりと自分の心にしみいってくるのを感じていた。あの時は、よく意味が分からなかったけれど、いまは、しっかりと理解できている気がする。
頭ではなく、心で。
そして納得できたのは、ほかでもないルシードが、そう言ったから。
彼は、とぎれとぎれに言った。
「このままお前の誕生日を祝わなかったら、お前の存在まで否定しているような気がしたんだ。おまえになにか示したい。だけど、心を表す方法がよくわからなかった。お前の好きなものなんて…、考えたことなかったし。それで、お前のことを考えていたら、俺の目の前でもりもり食ってる姿しか思い出せなくて、それならなにか作ろうと思った。
それで思い出した。草原の祝い事を。おまえにぴったりだと思ったんだ」
「ルシード」
「いつだっていいなら、今日だっていいはずだ。俺は、できるならお前をみんなの前で祝ってやりたい。だから今日だ。今日にする。…いいだろ?」
いてもたってもいられなくなって、ジルは顔をあげた。
「……なんだ?」
彼女は、まっすぐに自分の夫の目を見て言った。
「ありがとう。
とても、うれしい、です…」
夫の両眼を覗き込んで、彼女は心からの感謝を告げた。
たとえ、本当の誕生日を忘れられてしまっていたとしてもいい。
なぜなら、大事なのは、日ではないのだから。
”おめでとう”と、心からの言葉をかけられたそのとき、人は、確かに自分が必要とされているということに、初めて気づくことができる…
そんな人が、一人でも自分の側にいてくれたら――それだけで。
それだけで。
「ジル…」
彼は、自分を見ていた。その朝焼け色の両眼は、暗闇に点されたあかあかとした火のように、自分を照らし、そして不安をぬぐい去る。
いつも。
「あなたの言うとおりです。ルシード。大切なのは、誕生日がいつかということではありません。その日、自分が生まれたということ。自分以外の誰かに、自分を認めてもらうためにある。
認めてもらって、自分が嬉しいためにある。生きていくための、一つの糧にすぎません」
「ああ」
急に物わかりの良くなったジルに、ルシードは訝しげな顔をした。そして、きまずげに、ぶっきらぼうに言った。
「わかれば、いいんだ」
「ルシード。あなたこそ、わかっているんですか? わたしはいま、あなたに感謝しているんですよ」
「べつに、感謝なんて…。お前の為じゃなくて、俺がやりたくて勝手にやったんだし」
「でも、感謝しているんです。いいえ、感謝したい」
ほかにどうしようもなくて、ジルはじっと、彼の瞳を覗き込む。
なのにルシードは、狼狽えたようにあちこちに視線を向けて、
「気に入ったのなら、それでいい。俺だって、だれかのためにこんなことをしたのは初めてだし」
ぼそぼそと言った。
「わたしだけ?」
ジルは、驚いて顔をあげた。
「初恋の方との思い出があったのではなかったのですか?」
「…ない! そ、そんなことできるか。恥ずかしい!!」
と、なぜか吐き捨てるように言う。
「では、こんなふうに、だれかに手づから料理をつくってさしあげたことも、祝ったこともなかったと……?」
「ああ」
彼がぎこちなく頷いたのを見て、ジルは、なぜか自分が、妙にほっとしているということに気付いた。
(わたしが初めてなんだ)
なぜだろう。妙に、頭の中がすっきりしている。睡眠不足が解消された朝のように、体が軽い。
(こうやって、心を見せてくれたのだ。わたしにだけ)