愛玩王子~魔界の夏休み~(1)

著/片瀬由良

 それは、夏の暑い日の事だった……。
 学校は夏休みに入り、被服部に所属しているあたしは特に学校へ出向く用事もなかった。
 外は朝からセミの大合唱。
 あまりの暑さにコンビニにアイスを買いに行っただけでも、汗が吹き出してきた。「あっつ~い……」
 あたしは部屋のエアコンをつけて、涼しい風が直接あたる場所で文明の利器を堪能していた。
 すると、体長10センチ程の小さな人形がぴょんと机の上に乗り、口を開いた。
「まったく、これくらいの暑さでへばるようでは、まだまだだな」
 全身黒ずくめの小人さんは、腕を組んであたしを見上げた。
 一緒に買い物に出たのに……しかも全身真っ黒の衣装なのに、王子は汗一つかいていない。
「何が、まだまだなのかわかんないけど……王子、暑くないの?」
「これくらいはどうってことない。魔界にはもっと暑い場所がたくさんあるぞ」
 鴉の羽の色をした髪をさらりと揺らして、鮮やかな紅い目をキョトッと動かし、きっぱりと言ってのける王子。
 そう……今はとっても可愛いミニチュアな彼は、こう見えてもれっきとした魔界の王子様。
 そして、あたしの彼氏さんでもある……。
 今はワケがあって小さな姿になっているけど、本当の姿はかなりカッコイイ。
 あたしは買ってきたばかりのアイスを取り出すと、王子の目の前に置いた。
「はい、アイス。バニラがいいんだよね?」
「うむ」
 しっかりと頷くと、王子はバニラのカップの蓋を小さな両手で外しにかかる。
「開けてあげようか?」
「いや、大丈夫だ」
 『むむむ』と唸りながらスポンと蓋を開けると、王子は両手でスプーンを握り、アイスに挑みかかる。
 あたしも、自分用に買ってきたストロベリーのアイスの蓋を開けると、スプーンで一口、口に含んだ。
「ん~。冷た~い!」
「比奈のアイスも一口くれないか?」
「いいよ~」
 あたしは王子のカップに、ストロベリーのアイスを分けてあげた。
 そして、お返しとばかりに王子のカップからバニラアイスをスプーンで一杯取る。
「王子のもちょうだいね」
「あぁ、かまわんぞ」
 外の気温が30度を超える暑さの中、エアコンの効いた部屋でアイスを食べる。
 間違いなく、至福の時だね。
 しかし、こんな至福の時間を邪魔するかのように、突然部屋の窓が開いた。
 むわっとした熱気と一緒に部屋へ入ってきたのは、一匹の白い猫だった。
「わっ! びっくりしたっ」
「む? ライアじゃないか」
 あっさりと言ってのける王子の小さな顔を、あたしは覗き込んだ。
「え、王子の知り合い?」
「猫の姿になって散歩をしていると、時々出会う。野良猫のライアだ」
 そういえば、王子は黒猫の姿になってたまに散歩に出掛けるなぁ。
「どうしたんだ、ライア」
 しかし、尋ねる王子を無視すると、白猫のライアはあたしに向かってバッと前脚を広げた。
「さぁ、比奈殿。愛らしいワタクシを、その小さな胸にギュッと抱きしめるとよろしいでしょう!」
 突然人間の言葉を喋りだしたライア。だけどあたしはあまり驚きはしなかった。
 何故なら、あたしを『比奈殿』と呼んだり、自分の事を『ワタクシ』と言ったりする人物には覚えがあったからだ。
「……その話し方はフォルカスさんですね……ってか小さな胸って……一言多いです!」
 広げられた小さな脚をペシっとはたく。
 まったく、失礼しちゃうなぁ。
「一体なんだ。突然来て」
 王子は半眼になってフォルカスさん(?)を見つめた。
「その辺を歩いていた猫に少々体を借りてみたんです。いきなりお2人を訪ねた非礼はお詫びしますが、そう邪険にしなくてもよろしいではありませんか」
「お前が来ると、大抵がトラブルの始まりだからだ」
 きっぱりと言い放った王子に、フォルカスさんは猫の姿で器用にため息をついた。
「せっかくお2人を、このとても暑い場所から救い出して差し上げようというのに、つれないですねぇ」
「どういう意味ですか?」
 あたしが尋ねると、フォルカスさんは何度か頷いた。
「実は今、ワタクシと陛下は避暑地に来ておりましてね、せっかくだから王子と比奈殿を誘ったらどうかと陛下がおっしゃるので、お迎えに参った次第です」
「避暑地? ロメリア島に来ているのか?」
「はい、王子」
「え、なに島?」
 思わず尋ねたあたしに、王子はちらりと紅い視線を流した。
「ロメリア島だ。小さな島だが代々魔王一族だけが避暑に使う島だ。人間界で言う王室専用のプライベートビーチだな」
「そんなのあるんだ」
「まぁな」
 王子はフフンと鼻を鳴らすと、ちらりとあたしを見上げた。
「ここで暑さにへばっていても仕方ない。どうせ暇だから行ってみるか、比奈?」
「うん。行く行く!」
「でしたら、早々に参りましょう。陛下もお待ちですし」
 ちょいちょいと白い猫は手招くけど……。
「準備くらいさせて下さいよ」
「そのままで結構ですよ。比奈殿の水着は用意してございます!」
「……なんか嫌な予感がするんで、自分で持って行きます」
「信用されてないですねぇ」
 ……フォルカスさんの事だから、キワドイ水着とか用意してそうだもんなぁ。
 あたしは手早く、水着や着替えを準備するとバッグに詰めた。
「よし。準備OK!」
「忘れ物はないか?」
「うん、大丈夫。あ、エアコン切らなきゃ」
 ピッとエアコンの電源を落とすと、白い猫のフォルカスさんは何度か頷いた。
「それでは参りましょう」
 言うなり、フォルカスさんな白猫は、ポンポンと手を叩いた。
 瞬間、ふわりとした浮遊感。
 そして景色が一変した。

 まず目に入ってきたのは、エメラルドグリーンの綺麗な海。
 そして、ヤシの木を連想させる緑が鮮やかな植物の数々。
 潮風が涼しげに吹いていて、あたしは胸一杯に空気を吸い込んだ。
 フォルカスさんの魔法のお陰で、あたし達は一瞬のうちに魔界のロメリア島の砂浜に来ていた。
 足下にいた小さな王子の姿がゆらりと揺れたかと思うと、次の瞬間にはあたしを軽々と見下ろす長身の王子に姿を変えた。
 いや、こっちの方が元の姿なんだけどね。
 ゆっくりと流れてくる潮風を受けながら王子は小さく笑うと、あたしの頭をポンポンと撫でた。
「せっかくだ。ゆっくりしていこう」
「うん」
 切れ長の紅い瞳に、あたしは頷く。
 すると、不意に後ろから声がかかった。
「よく来たね、2人とも」
 風に乗ってくる低い声に振り向くと、魔王パパがいた。
 魔界を統べる魔王パパは威厳たっぷりで、王子のお父さんだ。
 長い黒髪をなびかせ、額には銀のサークレット。瞳の色は王子よりも鮮やかな赤い色をしている。
 しかし、今日はいつも程の『魔王様!』と言った圧迫感がなかった。
 きっと、今はゾロゾロした魔王様の正装ではなく、黒い短パンにTシャツといったかなりラフな格好だからだね。
 そしてジュース片手に、麗しいお顔でニッコリと微笑んでくれる。
「いらっしゃい、比奈殿。楽しんでいくといい」
「あ、はい。お招きありがとうございますっ」
「そんなに硬くならなくてもいいよ。今日は無礼講といこうじゃないか」
 ハッハッハッと魔王パパは豪快に笑う。
 いつも、かなり無礼講だと思うのはあたしだけでしょうか……?
「比奈殿、ワタクシの用意した水着に早速着替えようじゃありませんか」
 そう言いながら、魔王パパの側近でサポート役のフォルカスさんは、思った通りかなりキワドイ水着を手にしている。
 青銀の長い髪を風に揺らせながら、金色の瞳で笑み一つ浮かべない顔で歩いてくるけど……服装は魔王パパとよく似た短パンとTシャツ。
 うーん。魔界の偉い人がこんな格好でいいんだろうか?
 まぁ、きっと他には誰もいないんだろうからいいのかな。
 あたしがフォルカスさんが手にする水着を丁重にお断りしていると、長い黒髪に瑠璃色の瞳をした幼稚園児くらいの女の子が、王子の足下にガバッと抱きついてきた。
「主! 久しぶりだ!」
「お前も元気そうだな、レティ」
「うむ」
 コックリと可愛く頷くレティちゃん。こっちは、フリルのいっぱいついた水着を着せてもらって、とっても可愛い。
 ……まさか正体が、古代種と呼ばれる魔界の神話に出てくる竜の生き残りだなんて事、知る人は少ないけどね。
「……オレだけ正装しているのが、バカらしくなってきたな」
 王子はぼそりと呟くと、小さく指を振った。
 すると、王子の服装がTシャツにジーパン姿に変わる。
 あぁ……王子まで……。
 ここが魔界だなんて、とても思えない姿の面々。
 魔界ではみんな指折りの偉い人達なのに……。
「さて、人数は揃った。早速始めようではないか」
 厳かに言い出した魔王パパ。
「一体何を始めるんですか?」
「比奈殿、日本の夏の風物詩と言ったらこれだろう」
 魔王パパは、不敵にニヤリと笑うと長い髪の毛をかき上げた。
「風物詩?」
「そう! 流しソーメンだ!」
「流しソーメンですか!?」
「そうだとも」
 フッフッフと肩で笑うと、魔王パパはフォルカスさんを振り返った。
「さぁ、フォルカス。準備だ!」
「はい、陛下」
 やはり無表情のまま頷くと、フォルカスさんはパチンと指を鳴らした。
 普通に考えると流しソーメンの準備は、かなり大変なはずなんだけど、さすがにここは魔界。
 魔法という不思議な現象が日常茶飯事で起こる場所。
 フォルカスさんの指パッチンで、どこからともなく竹が現れると、それらが真っ二つに裂け、みるみるうちに流しソーメンの台が組み上がった。
 そして、魔王パパが宙に手を差し出す。
「水の精霊よ。私の元へ」
 すると、どこからともなく水が集まり球状になっていく。
 パパは水の球を流しソーメン台の一番上に浮かせると、そこからチョロチョロと竹の台に沿って水が流れ始めた。
「すごーい」
 思わずパチパチと拍手をすると、隣にいた王子がフンと鼻を鳴らした。
「それくらい、オレにもできる」
「あはは……」
 ムッとしていた王子を目ざとく見つけた魔王パパは、ニヤリと笑って王子を眺めた。
「王子よ、お前は流しソーメンを知っているかね?」
「む……ソーメンは知っている。この間食べたからな」
 あ、そういえばこの前、お昼にソーメン作ったんだった。
 でも王子は流しソーメンは知らないんだね。
「ではお前に、流しソーメンの極意を教えよう」
「極意……っ」
 思わず息を飲む王子に、魔王パパは不敵に笑う。
「しかしっ! その前にすることがある!」
「それはなんだっ」
「ソーメンを茹でねばならんことだっ。後、付け汁も作らねばな」
「…………」
 呆れて半眼になる王子を無視して、魔王パパはあたしの手をグッと握った。
「比奈殿、手伝ってはくれないかね」
「あ、はい。それくらいなら全然……」
「材料はあそこにあるからね」
「はい。茹でたらいいんですね」
「うむ」
 ニコニコと笑う魔王パパ。
 ここは魔法じゃないんですね。
 いつの間にか用意されていたソーメン一式を前に、あたしは苦笑する。
 さて、じゃ鍋もあることだし茹でなきゃね。
「オレも手伝う」
「いいの? 王子」
「オレがいた方が早く終わるだろう? 何をすればいい?」
「じゃ、この鍋に水入れて、沸騰させよう」
「うむ」
 王子の魔法の助けもあり、ソーメンの準備は数分で終わった。
 付け汁も作ろうと辺りを見渡すと、一体どこから用意したのか瓶に入ったカツオだしのおつゆがあった。
 これ、明らかに人間界のスーパーで買ってきたよね……値札付いてるし……。
 ま、いいや。
 あたしは人数分のお猪口にめんつゆを注いでいく。
 大きなザルに茹でたソーメンを入れ、各自に付け汁と箸を渡す。
「さぁ! 始めようではないか!」
 気合い満々の魔王パパがおかしくて、くすくす笑ってしまった。
「では、参りますよ」
 フォルカスさんは感情のない声と共に、最上段からソーメンを流していく。
 ちなみに、順番は上から魔王パパ、あたし、レティちゃんに王子。
 第一陣のソーメンが流れ出すと、魔王パパは素早く箸で絡め取った。
 魔王パパの巧みな箸使いから逃れたソーメンを、今度はあたしがすくう。
 そして更に残ったソーメンをレティちゃんが全部取っていってしまう。
「む! オレが食べれないではないか!」
「気付いたか王子よ……流しソーメンの極意その1!」
「な、なんだっ」
「流しソーメンはいわば戦いだ! 流れてくるソーメンは遠慮なく食べろ!」
「な、なんて傲慢なルールなんだ!」
「しかし、レディがいる場合はちゃんと残してすくわねばならん」
「なるほど。紳士の競技なのだな」
「そうだ。私を見習うといい」
「わかった」
 ……なんか熱い親子だなぁ。
 あたしは笑うのを必死に我慢して、第二陣を待つ。
「陛下、次流しますよー」
「うむ。かかってきなさい」
 気合いたっぷりに構える魔王パパと王子の親子。
 なんだかんだ言って似た者親子だね。
 続けて流れてくるソーメンの半分をパパが持って行く。
 そして残った半分をあたしとレティちゃんとで分け合う。
「むむっ。またしてもオレが食べられないっ」
「極意その2! 紳士たるもの、ここで焦ってはならん」
「うむ。分かっている」
 引き続きソーメンは次々と流れてくるけど、王子のところには……。
「親父! 少しは遠慮しろ! いつまで経ってもオレが食べれないではないか!」
 焦れた王子が声を上げるが、魔王パパは真面目な顔でキッと王子を睨みつけた。
「ここで怒るようではまだまだだな」
「はっ! 流しソーメンとは、もしや人の忍耐力を試す競技なのか!?」
「またしても気付いたようだな、王子よ。それは極意その3だ」
「……奥が深いぞ、流しソーメン!」
「そうだとも」
 最もらしく頷く魔王パパ。
 しかし、ここで見てしまった。魔王パパの肩がプルプル震えているのを。
 ……王子をからかって遊んでるんだろうなぁ。
 段々王子が不憫になってきたあたしは、王子に声をかけた。
「王子、場所を代わろうか?」
 しかし王子は首を横に振った。
「いやいい。ここで場所を代われば、オレはただの卑怯者だ」
「いや……そんなに重く捉えなくても……」
「よく言った王子よ! お前にも流しソーメンのなんたるかが分かってきたようだな」
「まぁな」
 王子はフッと不敵に笑う。
 ……本人がそう言ってることだし、いいのかな?
「いきますよ、陛下」
「うむ」
 それでもやっぱりソーメンの配分は変わらない。
 だけど、しばらく経つとソーメンと一緒に緑色の塊が流れてきた。
 条件反射的に魔王パパがそれを取って、口に入れてしまう。
「あぁっ! ツーンってっ! 鼻にツーンってっ!」
 どうやらフォルカスさんが、わさびの塊を一緒に流したらしく、口に入れてしまった魔王パパは悶絶する。
 その間に流れてきたソーメンをあたしとレティちゃん、そしてようやく王子の口に入った。
「よし、食べられたぞ」
「よかったね、王子」
「うむ」
 満足そうに微笑む王子が、なんとなく健気で可愛かった……。
 王子、お城じゃ苦労してるんだろうなぁ。
 だが、わさびはほんの序の口だった。
 次に流れてきたものに、みんなは思わず目を丸くする。
「む! 何故金魚!?」
「なんか、なまぐさっ!」
「赤い色が鮮やかだ……」
「というか、食べれんだろう!」
 みんなの集中砲火を浴びたフォルカスさんは、深々と一つ頷いた。
「飽きました」
 あ、ソーメン流すのに飽きちゃったって事だね。
 すると魔王パパが『もういい』と言った。
「私と交代だ」
「はい、陛下」
 という事は、必然的にあたしの前がフォルカスさんになるわけで……。
「流すぞ、皆の者」
 魔王パパは爪の長い手でソーメンを掴み、水の流れる竹にソーメンを流していく。
 と同時に、フォルカスさんの手が素早く動く。
 そして、魔王パパが流したソーメンを全部取っていってしまった。
「あ~! 少しは残してくださいよ!」
 不満の声を上げたあたしに、フォルカスさんはチッチッチと指を振った。
「何をおっしゃいます。こういうものは食べたもん勝ちですよ」
「なに! 話しが違うではないか!」
 ここであたしと同じく不満の声を上げた王子を、フォルカスさんは悠然と見下ろした。
「王子……ここではワタクシがルールです!」
「なんて傲慢なヤツだ。昔からお前のそういうところが気に入らないんだ!」
「なんとでもおっしゃいませ。ソーメンは渡しませんよ」
「なんだと!」
 ギャーギャーと言い争いを始めた2人をよそに、魔王パパは変わらずソーメンを流していく。
「ほら、比奈殿。ソーメンを流すよ」
「あ、きたきた。レティちゃん、今のうちに食べちゃおうねぇ」
「うむ」
 女子2人でソーメンを食べていると、魔王パパは感慨深げに何度か頷いた。
「今日も平和でなによりだ」