シャーレンブレン物語 遠い国のおとぎ話(上)
著/柚木 空

 黄色い花が咲いている。
 小さな小さな花弁が集まったその花は、まるで太陽のように明るく咲き乱れ、そよ風に乗ってふわふわと揺れていた。
 織物のように色鮮やかな翅を持つ蝶々が花壇を舞う、そんな、のどかな昼下がり。
「じゃあ、今日はこの間の続きからね」
 エジリンにある別荘、ラスカード邸の庭園。大きく張り出した枝葉が眩しい陽光を遮る木陰の下で、亜麻色の髪の少女は傍らに座る少年に笑顔を向けた。
 少女の膝上には開かれた書物が乗っている。やや古めかしい装丁の童話集である。
 キオがこの本を最初に目にしたのは三日前のこと。つまり、こうして二人で同じ本を読むようになってから、既に三日の時が過ぎたということだった。
 否、読むという表現は的確でない。
 キオはただ聞くだけだ。少女が読み上げる、本に綴られた言葉を。
「……むかし、むかしの遠い時代、名も知らぬ小さな国のものがたりです」
 少女――フォルティシアの柔らかな声が物語の始まりを告げる。
 何故、こんなことをしているのか。実を言うと、キオにも疑問でならなかった。
 事の発端は二週間ほど前。湖に落ちて意識を失ったキオを、心配した少女が傍について看病するということがあった。
 休めと命じられても、他人がいる場所で眠りにつけるキオではない。いつまで経っても目を閉じない彼のことをどう勘違いしたものか、
『心細いのなら、眠れるまでわたくしがご本を読んで差し上げますね』
 そう言って、フォルティシアが何処からともなく本を持って来た。
 そしてキオは、断る理由が特に思い当たらなかったので、少女の声が物語を読み上げるのを、そのまま黙って聞いていた。
 ――以来、時間さえあれば本読みに付き合わされるのが、避暑地エジリンにおけるキオの日課のようになっている。
「お、二人して何やってるんだ?」
 本の上に影が落ち、赤毛の青年が上から覗き込んできた。キオの仕える主人の一人、アレクシオ王子である。
「ご本を読んでいたんですの」
「それ子供向けの童話だろ。面白いか、キオ」
 王子の言葉に、キオは少しだけ首を傾げた。語られる内容は一応理解できるが、面白いかと問われると、よく分からない。
「そうだ! せっかくお兄様もいらっしゃったのですから、朗読劇をしましょう」
「朗読劇?」
「本の中の登場人物になりきって、みんなで物語の世界を表現するのです。一人で読むよりそっちの方が楽しいですものね。そうと決まったら、ミナワ様とエキアル様もお呼びしなくては!」
 うきうきとした様子で立ちあがったフォルティシアは、本をキオに預けて、館に向かって軽やかに駆けて行く。
 後に残された王子と少年は、互いに顔を見合わせた。
 フォルティシアの思いつきはいつだって突拍子もないが、それを止められる者もまた、ここにはいないのである。

「皆さん、集まって下さって嬉しいですわ」
フォルティシアは芝生の上に輪になって座る面々を見渡す。発案者であるフォルティシアの隣から、キオ、アレクシオ、変装続行中のユリウス、そしてミナワの順である。
「このお話は、可憐な王女と勇敢な騎士が様々な困難にぶつかりながら、最後には幸せを手に入れる感動的な恋の物語なのですわ。それでは、役を発表しますわね」
 フォルティシアが朗読劇に選んだのは、古い童話を下敷きにした有名な古典歌劇だ。避暑に訪れた貴婦人達が残していったのか、ラスカード邸の図書室に同じものが四冊もあった。ミナワ達にそれぞれ一冊、キオとフォルティシアで一冊という配分になる。
「まず主役の一人である絶世の美女、麗しのナフィカ王女ですが、これは従者さんにお願いしたいと思います」
 衝撃の配役に、ミナワとアレクシオが揃って噴いた。キオは理解していないのか、それとも気にしていないのか、平然とした顔である。
「い、いきなり何だ、そのとんでもない配役は」
「あら、お兄様ったらご存知ありませんの? 朗読劇では、男女を問わず、普段の自分とは違う性格の人物を演じることが、今の流行なのですわ」
 返すフォルティシアも平然としたものだ。
 貴族社会の趣向はよく分からない……とミナワは心中で唸った。
「その方法でいくと、フォルティシア様はどんな役を?」
 ユリウスの質問に、公爵令嬢は愛らしく微笑む。
「勿論、第二の主役、勇猛果敢で男らしい騎士ラステルですわ!」
 うわ、似合わない。
 言葉にこそ出さなかったが、ミナワとアレクシオの顔に浮かんだ表情は殆ど一緒だった。猪突猛進な女騎士、ならぴったりだったかもしれないが。
「そしてミナワ様には、人数が足りないので二役お願いしたいと思います」
「二役、ですか」
 不器用な自分にできるだろうか、とミナワは少々不安を覚える。
「一役目は、ナフィカ王女とラステルの愛を切り裂く魔物の化身、バムト大王。人々の苦しみと絶望を至上の喜びとする、血も涙もない悪者です」
「えええっ」
「それはまた、似合わねぇなー」
「いや、案外面白いかもよ」
 大口を開けるミナワの隣で、幼馴染み二人が無責任に感心している。
「そしてもう一役、主人公達を助け導く、歌の妖精ティアです」
「う、歌の妖精!?」
「はい。聖なる歌で、ナフィカ王女の窮地をお救いするのです。ここは臨場感を出す為に、しっかりと歌って頂きますわね」
 よりによって、音感皆無なミナワにその配役。
 愕然とするミナワの隣で、幼馴染み二人が今度は大笑いしている。
「結構いい配役じゃねぇか? フォルティ才能あるなぁ」
「いいねぇ、久し振りにミナワの美声が聞けるなんて、楽しみになってきた」
(二人とも、意地悪……!)
 涙目になるミナワをよそに、フォルティシアの発表は続く。
「お兄様はちょっと大変ですけれど、三役お願い致します。ナフィカ王女に辛く当たる継母のネイデ、ナフィカ姫の義姉であり騎士ラステルに横恋慕する残酷な性格のアーリア王女、甘い言葉で悪の道に惑わす黒魔女ヒーカ」
「………全部女役で、全部悪人ですか」
 微妙に落ち込んだ風情の王子である。
「そして最後、エキアル様にはバムト大王の哀れな囚人、ひたすら虐げられる従者のリドになって頂きますわね」
「虐げられる? お前が? ミナワに?」
 ひええ、とミナワの方が蒼白になった。たとえ朗読劇であろうと、そんな恐ろしいことはしたくない。
 視線が合うと、主は麗しい笑みを唇に乗せた。
「お手柔らかにね、ミナワ」
「う……うあ……」
 怖い。怖過ぎる。
「序文や説明文はわたくしが担当しますわ。ではでは、役も決まったことですし、物語の幕を開けましょう!」

『王女と騎士の物語』  第一幕 王城にて

 それは遥か昔、遠い国の物語。翡翠の城に、ナフィカという名の美しい王女が住んでおりました。心優しいナフィカ王女は黒檀の髪に翡翠の瞳をした、それはそれは美しいお方でした。ナフィカ王女の瞳があまりに綺麗だったので、王様はお城の廊下も、壁も、尖塔も、全てを愛娘の瞳と同じ翡翠色にしました。そう、それが翡翠の城という名の由来なのです。
 ナフィカ王女は王様とお妃様に大切に大切に育てられ、ますます愛らしく、まばゆいばかりに美しい乙女に成長しました。
 ところが――お妃様が落馬によって儚くなってから、ナフィカ王女の幸福な生活は終わりを告げました。新しいお妃様が翡翠の城に訪れた時、ナフィカ王女の辛く、悲しい運命もまた、足音を忍ばせてやって来たのです……。

「まぁ、何てこと! 窓枠に埃が残っているではないの!」
「申し訳ありませんネイデおかあさま」
 舞台は、前王妃が亡くなった後の翡翠の城。王女でありながら、召使と同じ下働きをさせられるナフィカが、義母ネイデに厳しく叱られる場面である。
「もう一度、始めからやり直しなさい。お城の窓という窓、廊下という廊下、隅から隅まで綺麗に磨き上げるまで手を止めてはなりません」
「はい、わかりましたネイデおかあさま」
「おかあさま? やめてちょうだい馴れ馴れしい! あなたと私では血の繋がりなどないのですよ。ネイデ王妃と呼びなさい」
「申し訳ありませんネイデ王妃さま」
「ああ全く、この城ときたら、どこもかしこも緑ばかり。お前の瞳の色と同じだなんて、ああ全く、忌々しいことといったら!」
 王子、迫真の演技である。短い台詞の中に、若く美しい王女に対する怒りと羨望と嫉妬が見事に表現されている。声が男性のものなんて、些細なことに思えてくるほどだ。
 かたや、ナフィカ王女を演じるキオは淡々と台詞を読み上げていた。感情豊かな義母に対してこの態度では、可哀想というより傲岸不遜な姫君だ。
「掃除が終わらなければ夕食は抜きですよ。よろしいですね」
「分かりましたネイデ王妃さま」
 ネイデ王妃は立ち去り、ここで主人公の悲嘆に満ちた独白が始まる。
「ああ毎日辛く、苦しいことばかり。おかあさまにもおねえさまにも憎まれて。どうすればこの苦しみから逃れることができるのでしょう。あの二人さえいなければ、いいえそんなことを口にしては駄目よナフィカ。幸福な時は必ずやって来る。その時を静かな心で待っていましょう」
 多くの観客が同情の涙を滲ませる場面……である筈なのだが、あくまでも一本調子なせいか、哀れな様子は欠片もない。むしろ『幸福な時』を迎える為に、いかにして自分を虐待する義母達に復讐を果たすべきか、冷静かつ綿密な計画を企てているように聞こえてしまうのは、ミナワだけだろうか?
 ここまでの朗読に、フォルティシアは満足そうに頷いた。
「お二人ともいい感じですわ。特にお兄様、血の繋がらない娘をいじめ抜く、ネイデ王妃の冷酷さと嫉妬深さと執念深さがよく表れていて、とても素晴らしいです! 嫌味っぽい口調など、真に迫っていて憎々しく思えるほどでした」
 褒め言葉と素直に受け止められない、フォルティシアの評価だった。
「そりゃ、身近にいい見本がいるからなぁ……」
「どうして僕を見るんだい、アレク」
「それから従者さん、聞き取りやすいお声でとてもよろしいのですけど、台詞はもう少し情感を込めて言った方が、ぐっと良くなりますわよ。それと、間を大事にして下さいね」
「………間?」
 不可解な言葉を耳にしたという風に、キオは少女を見返した。
「そう、間です。台詞の合間に一呼吸置くと、悲しむ気持ちが一層強調され、観るもの聞くものに大きな感動を与えるのですわ」
「……………」
 キオはじっと黙って考え込む。常日頃から感情を削ぎ落としたような喋り方しかしない少年にとって、あまりにも難しい課題のようだ。
「あら、難しく考えなくてもいいのよ。最初は誰だって緊張するものですものね。大丈夫、読み進めていく内に慣れてくるわ。ふふ、では物語を進めましょう!」

   第二幕 歌う妖精
 
 毎日のように義母と義姉に虐げられるナフィカ王女は、ささいな失敗がもとで、寒い冬の晩に城から追い出されてしまいます。馬小屋の中でぼろ布にくるまり、寒さに震える王女の前に現れたのは、不思議な力を持つ妖精ティアでした。

「はい、ミナワ様の出番ですわ。清らかな歌声を響かせて登場して下さいね」
「――えっ! だって、脚本には歌うなんて書かれていませんよ!?」
 いきなりの難題に、ミナワは大いにうろたえた。
「これは演出というものです。わたくしが観に行った舞台では、歌姫と呼ばれる女優が、それはそれは素晴らしい歌声を披露して、多くの聴衆を魅了したものですわ。さ、ミナワ様」
「で、でも、歌って……どんな歌を歌えば……」
 んー、と人差し指を唇に当てて考える顔になったフォルティシアは、やがて名案を思いついたという風に手を打ち合わせた。
「そうだ。聖歌にしましょう。たくさん種類があるし、誰でも知っているお歌ですものね」
 聖歌とは神を讃える歌で、主に礼拝において用いられる。生命神を中心に、配下の神ごとに様々な旋律があり、聖王国においては子守唄の次に親しまれているものだ。
「ミナワ様、お早く」
「う、うう………ら、ららら~ら~」
 本を掲げ持つ手を震わせて、ミナワは半泣き状態で歌い出した。小さな口から流れ出す、調子外れな音程。隣の男性陣が顔を横向け、或いは本で顔を隠し、肩を小刻みに震わせているのが分かる。これならいっそ、大声で笑ってくれた方がマシだ。
「その調子ですわ、ミナワ様! うん、これから妖精さんの台詞は、全て歌にして読み上げることに致しましょう」
「ふええ――っ!?」
 更に難易度が高くなった。
「従者さん、台詞をお願いします」
「その光り輝く姿、あなたは一体誰なのですか?」
「ら、らら~……わたしは~歌の~妖精です~」
「歌の妖精ですって。まあ、妖精が本当にこの世にいるなんて」
 平坦な声で驚かれる。恥ずかしさ大全開のミナワにとって、真冬の空気を思わせる冷ややかな声は、心理的にかなり堪えるものがあった。
「るる~……美しい王女さま~どうして~泣いて~いるのですか~」
「お城を追い出されてしまったのです。おねえさまの大切なドレスを繕っておかなかったから、その罰を受けたのです」
「まあ~なんて~お可哀想なお方~……せめてもの慰めに、歌を歌ってあげましょう~」
 必死なミナワを尻目に、主と王子はげらげら笑う。芝生を叩きながら「いいねー、最高だねぇ」だとか、「やべぇ、腹痛ぇ」などと言っては、端正な顔立ちに似合わぬ爆笑ぶりを見せる両名。なんてひどい人達だろうか。
 一方、キオは感動とはかけ離れた声色で続きを口にした。
「歌はいりません。それより、寒さをしのぐ火種を下さい」
「う、うう~」
 他意はないとはいえ、結構ひどい台詞である。麗しのナフィカ王女、王城育ちのせいか、少々自分本位なところがあるようだ。
 歌の妖精ティアは火の代わりに、澄み切った歌声――あくまでも、物語上では――を響かせ、助けを求めることにした。人のものとは思えない歌声――あくまでも、物語上では良い意味で――を耳にして、馬小屋の中で震える王女を探し当てた人物こそ、もう一人の主役、騎士ラステルである。

   第三幕 愛の日々

「さて、いよいよわたくしの出番ですわね。――おお、美しい人! こんな冷たい場所で、たった一人寒さに震えているなんて、一体何があったのですか!」
 愛らしい声をできる限り凛々しく響かせて、フォルティシア演じる騎士が、馬小屋の乙女の下へ颯爽と馳せ参じた。
「まあ、どなたですの?」
「我が名はラステル。ルデンバーグの騎士です。不思議な歌に導かれてここまで来ました」
「うれしいわ。それに、なんて素敵なお方でしょう」
「ああ、なんて美しい方なんだ。黒檀の髪、翡翠の瞳、雪のように白い肌……私は今まで、こんなにも可憐で、美しい人を目にしたことがない。名も知らぬ姫、どうかこの私と結婚して下さい」
「はい喜んで」
『結婚早っ!』
 演技中の二人を除く、外野の声が重なった。
 凍てつく冬の夜から救い出されたナフィカは、王女としての身分を捨て、騎士ラステルの妻として、穏やかで、満たされた日々を送る。
 舞台は春の日差しに満ち溢れた森の中、恋人達は軽やかに駆けて行く。
「ラステル様、私をお捕まえてごらんになって」
「はははー、君は足が早いなぁー」
「ほらほら、こちらです」
「はははー、待て待てー」
「早くお捕まえにならないと、消えてしまうかもしれませんわ」
「大丈夫さー。君を愛する私の心は、どんなに君が離れてしまおうと、必ず見つけ出すのだからねー」
「まあラステル様ったら」
 甘い甘い恋人同士の戯れの時間。
 しかし、実際に演じているのはキオとフォルティシアである。
 抑揚に乏しく無感情な乙女と、どんなに頑張っても可愛らしい声にしかならない騎士の追いかけっこは、珍妙以外のなにものでもない。
 ミナワでさえ何度も笑いかけたのだ。隣の二人は言うまでもなく、爆笑を通り越して芝生に転がり、痙攣のように背中を震わせていた。彼らが高貴な〈癒し姫〉と王子であるなんて、嘘ではないかとミナワは思う。
「つーかまえた!」
「あ。ラステル様」
「ふふふ、もう二度と君を離したりしないよ。君と私と、ずっと一緒にいるんだ」
「はいラステル様」
 ……二人の甘い、かもしれない時間は、まだまだたっぷりと続くことになる。