シャーレンブレン物語 遠い国のおとぎ話(下)
第四幕 古の覇王
幸せな日々を営む二人。ところが、新たなる脅威は既に迫っていました。
何故ならば、かつては大陸中の国々を支配したものの、残虐非道な振る舞いにより、神々の手で地底の国へ封じられた古の覇王、今は魔物の化身と恐れられるバムド大王が、美しいナフィカを手に入れんと狙っていたからです。
「お、血も涙もない魔物の化身の登場か」
にやにやとアレクシオが笑った。
「うんと怖い大王様を頼むな」
「努力します……」
とはいえ、歌の妖精よりは楽かもしれない。そう思って本に目を落としたミナワは、次の瞬間、全身を凍りつかせた。
そこには、『バムド大王、哀れなる囚人にして従者たるリドを鞭打ち、激しく罵ること(ここは役者の即興を交えながら)』とある。
ぎぎぎ、とミナワは首を動かした。同じ箇所を読んでいたらしいユリウスは、顔を本から離してにっこりと微笑む。
無理だ! できるわけがない!
「ミナワ様、ほら、始めて下さいな」
「フォル、フォルティシア様、あの、この役は……っ」
「は・や・く!」
有無を言わせぬ雰囲気である。
がたがたと震えながら、ミナワはなるべく主を視界に入れないようにして、ひきつる喉を懸命に動かした。
これは台詞だ。これはただの遊び、そう、遊びなのだ。
「……う、麗しの、ナフィカを、奪うように命じておいたのに、まだ成功しないとは、何事だリド……こ、こ……この」
そこから先の台詞がどうしても言えない。
何しろ、『役立たずの間抜けめが!』と続くのだから。
「どうしたのミナワ。早く言ってごらんよ」
いっそ、優しいとさえ思える主の声だった。
「こ、こここ……」
混乱でニワトリのようになっているミナワに、ユリウスはふう、と溜息をつく。
「残念だな。僕を罵るミナワの声が聞きたかったのに」
「………お前、そういう趣味があったのか?」
王子の突っ込みも、顔面蒼白のミナワの耳には入らなかった。
「もう、ミナワ様! これでは劇が止まってしまいますわ!」
フォルティシアが容赦なく追い討ちをかける。
変なところで責任感が強いミナワは、せっかく皆で楽しもうと始めたこの朗読劇を台無しにしてはならない、そんな悲壮な決意を胸に言葉を押し出した。
――かなり小さな声で。
「……役立たずの間抜けめがー……」
「聞こえませんわよ、ミナワ様」
案の定、誰の耳にも届かなかった。
「や、役立たずの間抜けめがー」
「え? 聞こえないなぁ、ミナワ」
「役立たずの間抜けめがーっ」
半ばやけくその心境で叫ぶと、哀れなる従者リド役であるユリウスは、恐ろしい大王に怯えて震える、胸が苦しくなるほどに切ない声で告げた。
「申し訳ありません……バムド様」
「あ、いえ、反省すればいいんです、よ?」
「ミナワ様! 簡単に許してどうするんですのっ。貴女は今、血も涙もない、悪のバムド大王なのですよ! さあ、もっともっと口汚くご自分の従者を罵るのです!」
フォルティシアの熱血指導は、ミナワに逃げ道を与えてはくれない。
次の台詞を目で追って、ひっ、とミナワは息を呑んだ。
「遠慮しなくてもいいんだよ。今は互いの立場を忘れて、演技を楽しもう。ここでなら、普段は言いたくても言えないようなことを口に出せるからね」
労わるようなユリウスの言葉と視線は、その実、ミナワをより一層困らせる為の意地悪に他ならなかった。
普段は言いたくても言えないこと――そんな風に捉えられたらどうすればいい。バムド大王の台詞はこうだ。
『この口先だけの軟弱者! お前のことは以前から忌々しく思っていたのだ!』
「う、ううう」
あまりの恐怖に、ミナワの目尻に涙が滲んでくる。
「……まぁ、これだけでも十分じゃねぇの? 何となく緊迫した恐ろしげな雰囲気は伝わってくるし、さくさく先に進めようぜ」
見かねたアレクシオが助け舟を出してくれなければ、ミナワは永遠に石化していたかもしれない。フォルティシアはまだ少し物足りなさそうだったが、劇の進行を重要視したのか、こうして大王と従者のやりとりは大幅に削除された。
ナフィカ王女を手に入れる為に、バムド大王は姦計を巡らす。それは毒の魔女と呼ばれるヒーカの知恵と魔力を借り、ナフィカをこの地底の国に攫って来るというものであった。従者リドはヒーカを訪ねに、毒草に溢れた暗闇森へ行くことを命じられる。
「で、では行くのだ、我が忠実なる僕よ! 麗しのナフィカを手に入れよ!」
「……はい、バムド様。この命に代えても」
「あ、でも、嫌だったらわたしが自分で……」
「ミナワ様!」
第五幕 毒の罠
さて、毒の魔女の元へ出向いた従者リドは、暗闇森の奥深い森小屋で、醜い容貌の魔女ヒーカと密談を交わします。
「――という訳で、貴女の力を借りたいのです」
「そうじゃのう。砂金を一袋で手を打ってやろう」
「はぁ? そんなもの出すわけないだろ。いいからさっさと言うこと聞きなよ」
「お前、台詞が全然違うだろ!」
哀れなるリドは、どうにか魔女ヒーカを仲間に引き入れることに成功しました。
魔女ヒーカは言います。
『ナフィカ王女の傍には歌の妖精がいる。彼奴めは悪しき魔力に敏感で、儂らが近付こうとすればあっという間にばれてしまう。なれば、王女と同じ人間を使うのが一番じゃ』
そこでリドは、ナフィカ王女を忌み嫌い、騎士ラステルに恋心をもつアーリア王女に目をつけたのでした。
リドは言葉巧みにアーリア王女を騙して魔女の家まで連れて来て、ナフィカ王女の居場所を教えます。ラステルと共にいるナフィカ王女に激しい嫉妬を抱いたアーリア王女は、魔女から渡された毒入りのキノコを手に、ナフィカ王女の暮らす家に向かいました……。
「まあアーリアおねえさま」
「おひさしぶりね、私の可愛い妹」
「突然どうなさったのですか。それにどうしてこの場所が」
「あなたが消えてしまってから、私とおかあさまは自分達の過ちに気付いたのです。これからは仲良く一緒に暮らしましょう」
「でも私はラステル様の妻。ここを離れる訳には参りません」
「そうですか……では、せめて結婚の贈り物を受け取って下さいな。はい、キノコですよ」
「結婚の贈り物がキノコですか?」
ちなみにこれは脚本通りの台詞なのだが、キオの冷静な口調で問われると、アーリア王女のお間抜けさが浮き彫りにされてしまう。
「確かに、どうしてキノコなんだろうね」
「魔女さんも、果物とか、棘のある薔薇を渡せば、怪しまれませんでしたよね」
「外野うるさいですよー。このキノコはあなたの幸福を願った私からの贈り物。どうか受け取って下さいませ」
純真なナフィカ王女は、優しい義姉の態度にすっかり騙され、とうとう毒入りのキノコを口にしてしまうのです! 哀れ、ナフィカ王女は魔女の毒によって深い眠りについてしまうのでした。
第六幕 地底の国へ
眠りについたナフィカ王女は、暗い暗い地底の国へと運ばれました。お城から帰って来たラステルは、姿の見えないナフィカ王女を探します。そこへ歌の妖精ティアが現れ、床に落ちたままのキノコから、魔女の力、そして地底の闇を感じ取るのでした。
ラステルは妖精の祝福(歌)を受けて、ナフィカを救う為に地底の国へと赴きます。
「いよいよ、物語が一番盛り上がる場面に来ましたわね! ここからは、勇敢な騎士ラステルと古の覇王との、手に汗握る戦いの始まりです。――今すぐにナフィカを返すのだ、悪しき古代の王よ! さもなくばこの剣でそなたを斬る!」
きりりと、しかしやはり可愛らしい声で、ラステルは戦いの宣告をする。
対するバムド大王は、
「ちっぽけな人間めがー……私の力をー……思い知らせてやるぞー……」
すっかり掠れた声で相対した。
「あら? ミナワ様、声が掠れていらっしゃいますよ」
「さっき、たくさん、歌ったので……」
騎士ラステルが地底の国に降りる為、妖精は歌った。歌って歌って歌い続け、フォルティシアが許しを出すまで、ひたすら歌うしかなかったのである。一人二役は苦しい。
「もう少しなので頑張りましょう。ゆくぞ! 我が剣を受けよーっ」
脚本では、この場面の台詞は極端に少ない。例によって『役者の即興で』と指示があり、本物の舞台劇では、派手な演出と立ち回りが観客を興奮させる大盛り上がりを見せる。
が、台詞だけを繋げるとかなり呆気ないものだ。
「ふはは、我が古の力を受けてみよー」
「なんの、これでどうだーっ!」
「ぐあーっ、やられたー……がくっ」
三行による死闘を終え、ラステルは愛しい妻の下へ走る。水晶の寝台に横たえられたナフィカ王女は、魔女の毒により昏々と眠り続けていた。
「どうしてナフィカは目を覚まさないのだ!」
「それは~……げほげほ……魔女の毒のせいです~」
「そんな! 目を覚ましてくれナフィカ!」
「魔女の~毒を~……こほっ……解く方法は~ひとつだけ~」
そこまで言って、ミナワは「あれ?」と思った。
頁の残り少なくなった脚本には、このような説明文がある。魔女の毒を消し去る方法はひとつだけ。それは、真に愛する者の口づけだけなのです、と。
脚本に台詞はなく、ただ『騎士ラステル、ナフィカ王女に口づけをする』とだけ指示が書かれていた。
恐らく、全員がそのことに気付いたのだ。急にしん、とした沈黙が降りた。
誰よりも早く我に返ったのはアレクシオだった。
「い――いやいや、ここは適当に流そうな」
ところが、フォルティシアはあっけらかんとしたものだ。
「あらお兄様。この劇の一番の見せ場は、騎士と王女の愛の口づけですのよ?」
「何っ!? おにーちゃん、それはちょっと看過できないぞ! そういうことは、劇遊びとかじゃなくて、もっと大切に――」
「アレクうるさい」
ごす、とユリウスの肘が思い切り鳩尾に決まった。普段なら大したことのない攻撃でも、慌てふためく彼にとってはまさに不意打ちで、暫し悶絶する羽目となる。
フォルティシアはくるりとキオに向き直った。
無表情のキオは、一度だけ小さく瞬きをする。
(え、え? まさか、本当に!?)
遊びでも常に真剣さを求めていたフォルティシアのことだ。このまま本当に、愛の口づけをしてしまうことだって考えられる。確かに演技だが、でも……公爵令嬢がそれをするのはいくら何でもまずいのでは。
(ど、どうしよう)
止める? ここは、止めるべき?
ミナワが脳内であれこれ悩んで焦っている間にも、フォルティシアはキオとの距離を詰めていく。黒曜石のようなキオの瞳は、相変わらず何の表情も映していなかった。
そんな彼の口元にちょこんと触れる。柔らかい、フォルティシアの指先が。
「はい。起きて下さいね、王女様」
指先はすぐに離れ、フォルティシアが愛らしく微笑んだ。
一瞬の沈黙の後、へたりとミナワの体から力が抜ける。
(……そ、そうだよね。あはは……)
何だか色々と想像してしまった自分が恥ずかしい。ユリウスが小さく笑い、アレクシオはまだ痛むお腹を押えて転がっていた。
「愛する人の口づけにより魔女の術は解け、二人はいつまでも幸せに暮らしたのです。これで、この物語はおしまい!」
色とりどりのお菓子とお茶が、芝生に敷かれた布の上に並ぶ。
長い物語を終えて、ミナワ達は現実の世界でお茶会を楽しんでいた。からからに乾いた喉に蜂蜜入りの甘いお茶は美味しく、ミナワはほっと息をつく。
「ふふ、とっても楽しかったですわね!」
上機嫌でフォルティシアが焼き菓子を手に取る。一番台詞の多かった彼女だが、そんなことを感じさせない元気さである。
「また一緒に朗読劇をしましょうね、ミナワ様」
にこにこと微笑まれ、ミナワは返答に窮した。
でも――
確かに色々と大変だったが、皆でひとつのことに取り組むというのは滅多にない経験で、楽しいと感じたのは嘘ではない。胸がほっこりと温かいのは、きっとあの劇のお陰だ。
「そうですね、フォルティシア様」
「では、次はもっと面白いご本を用意しておきますわ。そうだ、うんと甘く切ない恋物語に致しましょう。今度の主役はミナワ様とエキアル様で!」
「――えええ!?」
「へーえ、その反応はどういう意味? 僕が相手では嫌ということかな?」
「ち、ちち違っ……!」
むにーっとユリウスがミナワの柔らかい頬を軽く引っ張る。いつも通りの主従のやりとりに、アレクシオが声に出して笑った。
「どっちが男役か、気になるところだよなー」
空になった茶杯にお茶を注ぐキオに、フォルティシアが尋ねる。
「従者さんは、楽しかったですか?」
キオは暫く考える顔つきになった後、自分の首元に手を当てた。
「一度にあれだけ喋ったのは初めてで――……喉が少し痛みます」
「まぁ」
フォルティシアがくすくすと笑った。
「でも、従者さんはお上手でした」
「そう、でしょうか?」
「聞きやすくて、綺麗なお声です。わたくし、とっても好きですわ」
そんな風に言われたのは初めてで、キオはどう返事をすればいいのか、分からない。
いつだって、この少女はそんな不思議なことばかり口にする。
「ねぇ従者さん。今度は貴方が、わたくしに童話を読んで下さらない?」
ほら、今もまた理由の分からない願いを突き付けてくる。無邪気な笑顔と共に。
それでも――断る理由は、やはり何処を探しても見当たらないのだ。
「分かりました」
「約束よ!」
嬉しそうに笑う。その顔を目にするのは、多分――『嫌い』ではない。