妖精とキス
著/弓束しげる イラスト/日野杏寿

 さあさあ早く、とせかす声に、ノーラは手元に落としていた視線を上げた。
「ここの占いが百パーセント当たるというから、わざわざこの私が下町にまで出向いてやったんだ。家宝にもなり得る懐中時計だぞ、見つからなければ金は払わなんからな!」
 丸机を挟んで向かい側に座る貴族の男は、骨ばったあごを撫で、反対の手でせわしなく膝を叩いた。暗幕で仕切られた小部屋の燭台の火が揺れ、男の骨格に濃い陰影をつける。
 ——骸骨がケバケバしく着飾っているみたい。
 宝石の散りばめられた相手の衣装を軽く眺め、ノーラは切りそろえた長い黒髪をさらりとかき払った。魔女のような簡素な黒服がここでは格調高く見えるよう、凛と背筋を伸ばす。
 やわらかく微笑み、猫のようなつり気味の瑠璃の瞳を細めると、男がムと目を瞬かせた。
「な、何だ……?」
「いえ、子爵様ともあろうお方が、小さな事をおっしゃられてはいけませんわ。どんとお構え下さいな? せっかく足をお運びいただいた事、決して無駄にはさせませんから」
 余裕を持って答えると、男は胡散臭そうな、けれどどこか期待を込めたような視線を投げて寄越した。ノーラはそれを真っ直ぐに受け止めながら、もう一度「ご安心を」と微笑む。
 そうして、机上に置かれていた水晶玉を、両手でそっと持ち上げた。
「……純金製、鷲の彫刻、懐中時計……持ち主はアンブローズ・マコーリー」
 口の中で『探し物』の特徴を反芻し、ノーラは静かに、持ち上げた水晶玉にキスをした。
 ——お願い、力を貸して……。
 途端に、ぼうっと水晶玉があたたかくなる。いつもと同じ不可思議な感触に、ノーラは口元をゆったりとほころばせた。集中して水晶の中を見つめると、少しして『ここではないどこか』の映像がぼんやりと映り込む。
「……子爵様、お屋敷に、二体並んだ純銀の女神像はございます?」
 ノーラがちらと水晶越しの上目を投げると、男は瞠目して「何故それを」と呟いた。
 その反応に満足して、ノーラは笑みを深めて水晶玉を丸机に戻す。
「二つの女神像の間、その隙間にお探しの時計は落ちてますわ」
「お……おお、おお! そういえば、時計を失くした前日、あの像の位置を移動させて、私も傷がつかなかったか念入りに確認を……あの時に落としていたのか!」
 男は手を打って喜びの声を上げた。
 ノーラは「お心当たりがおありのようで、安心致しました」と目を細めて頷いた。
「では、お代に金貨一枚、いただきますね」
 そうして両手を差し出すと、途端に男は「んっ? 相場は銀貨じゃ……」と固まった。
「いいえ? 金貨一枚、いただきます。大切なお品だったのでしょう?」
 再び繰り返し、ノーラは満面の笑みで首をかしげて見せたのだった。

「はーあ、お金持ちって『金持ち』のクセにケチケチしてて嫌ね!」
 昼過ぎになり、ノーラの働く占いの館は束の間の休館時間となった。
 自分の持ち場である個室を出たノーラは、ぐぐっと伸びをして軽く肩を回す。
 木目の浮いた濃茶の壁に、薔薇やら鏡やらの装飾がされた待合室。そこでは、他の個室で働いていた同僚の占い師達が十人ほど、くつろぎながら手持ちのお弁当を広げていた。ノーラだけでなく、皆が一様に黒っぽい服を着ているので、まるで魔女の集会のようだ。
「あっは、さっきの貴族の客?」
 その中の一人、部屋の隅にいた、波打つ茶髪を肩まで伸ばしたジュディがノーラの愚痴に答えた。ジュディはノーラと同じ十六歳、この館でノーラの一番の友人だ。すらりとした黒猫を思わせるノーラとは違い、ちんまりとした子ネズミを思わせる華奢な女の子である。
「そ。さっきの貴族の客よ」
 そんなジュディの手招きに応じ、ノーラは手近にあった丸椅子を引いてそのかたわらに腰掛けた。ジュディは面白そうにキヒヒと歯を見せて笑う。
「あの貴族、すごいぶつくさ言いながら帰ってったよ。一体いくらぼったくったの?」
「あら、ぼったくったなんて心外だわ」
 ノーラは肩をすくめた。側にあった卓上にバスケットを置き、水晶で見た懐中時計を思い返す。精巧な彫刻の鷲と、その瞳に大粒の宝石があしらわれた純金の時計だった。
「あの失せ物、安く見積もっても金貨五、六百は下らないわ。わたしはいつも、相手に見合った報酬をいただいてるだけなんだから」
 そうでしょ? と首をかしげて髪を揺らすと、ジュディは「まーね」と首を縦に振った。
「失せ物探し専門っていっても、ノーラは『本物』だもんね。第六感! とかじゃなくさ」
「ふふ、もっと褒め称えてくれていいのよ」
 笑顔で答えて、ノーラはバスケットから取り出したパンをかじった。安物の小麦で作った安物のパンなので、歯ごたえは噛み切りにくいスポンジのようであまり美味しくない。
「じゃあさ、称えついでにあたしの髪飾り探してくんない? 一昨日から見つかんなくて」
 と、ノーラと同じようなパンを咀嚼したジュディが、突然拝むように手を叩き合わせた。
 このとーり、と懇願する友人の姿に、ノーラはごくんとパンを飲み込んで目を瞬かせる。
「……髪飾りって、恋人にもらったって大事にしてたやつ?」
「そう! かすみの花飾り。安物だけどさ、滅多に贈り物なんてくれる彼じゃないの」
 なのになくしちゃうなんて最低、とジュディはしょげて眉を下げた。
 ノーラは「仕方ない」と頷いた。いつも持ち歩いている小さな水晶玉を鞄から出す。
「銅貨三枚でいいわよ」
「えっ、お金取るの!? 友情サービスとかないの!?」
 間髪容れず突っ込んだジュディに、ノーラはちっちっと指を振った。
「何言ってんのジュディ、世の中お金よ、モノがないなら受けられない相談だわ」
「くっ……相変わらず金の亡者ね」
 ジュディは大げさに嘆いて拳を握った。
 対してノーラはやわらかく目を細め、意図して可愛らしく首を傾ける。
「ごめんねえ、ジュディの事は好きだけど、それ以上にわたし、お金が好きなの」
「ちぇー。……まあ、気持ちは解らないでもないけどさ。六歳でご両親亡くして、ずっと一人で生きてきたなら、そりゃ苦労もしたでしょうし」
 その言葉に、ノーラはフッと格好つけて髪を払った。亡くなった母譲りの真っ直ぐな黒髪が、壁の照明を反射させて濡れ羽色にきらめく。明後日の方角を見上げ、どこかの舞台女優にでもなった気分で、ノーラは「ジュディ、知ってる?」と歌うように話した。
「天涯孤独になった少女の先駆者が、とてもいい言葉を残してくれているわ」
 そして流れるような動作でジュディに手を差し出し、満面の笑みで告げた。
「同情するなら、お金ちょーだい?」
 清々しく言い放つと、ジュディがぶふっと吹きだした。
「敵わないわ! 解ったわよ、払う払う! その代わり、無事に見つかったらね」
「見つけられないわけないでしょ」
 ノーラは片目を瞑って、早速、水晶玉にキスをした。ただのクセだけれど、これがノーラにとっての占い開始の合図、意識を集中させる勘所となる。
「色は白、かすみの花、髪飾り。持ち主はジュディ・バートン……」
 呟くと、先刻と同じように水晶玉がほんわりとあたたかくなった。
 口をつぐみ、じっと意識を水晶の中央に寄せて見つめていると、すぐにぼんやりと薄暗い場所が映り込む。どこかの棚のようだった。目的の髪飾りと一緒に置いてあるのは——。
「……お皿? ……ねえジュディ、何か来客用のお皿に髪飾りが盛られてるわよ」
 怪訝にそう告げると、少しばかりの間を空けて、ジュディは「あーっ!」と指を鳴らした。
「そっか、そうそう! 一昨日、家を掃除する時に傷付けちゃ嫌だからって置いたんだわ! どうりで化粧台や洗面台を探しても見つからないわけだ!」
 ジュディは「ああ、良かった」と安堵の表情を浮かべた。その様子にノーラもほっと息をつき、胸中で「今回も当たったわ、ありがとう」と呟く。きゅっと、水晶玉を胸に抱いた。
「いやあ、それにしても、本当に怖いくらい当たるわね」
 ジュディが、感心したようにあごに手を当てた。
「どうやったらそんなふうに『視える』の?」
 その問いに、ノーラはきょとんと目を丸くした。
「え? どうも何も。いつも言ってるでしょ。占いの力は妖精のおかげなんだから」
 さらりと答えると、背中のほうから「げふっ」と誰かがむせるのが聞こえた。
 どうしたのかと視線を送り、それから改めてジュディに目を戻すと、ジュディは困ったような呆れたような、何やらしょっぱい顔をしてノーラを見つめていた。
「……ノーラってさ、お金にがめつくて現実的なくせに、何でそこだけ乙女思考なの?」
「えっ、何よ! 別に乙女思考とか、そういうんじゃないわ」
 相変わらず信じてもらえていないと知れて、ノーラはむむっと眉を寄せた。
「親からそう教わったのよ。わたしの両親は力のある占い師だったんだから」
 ——そう。ノーラの両親は二人とも、ノーラ以上の力を持った占い師だった。そしてその二人が常々言っていたのだ。占いの力は妖精の力。感謝を忘れないようにしなさいと。
「でも、妖精が見えるとか、そういうんじゃないわけでしょ?」
「それはそうだけど……でも、わたしは信じてるわ。これからも妖精に感謝して頑張るの」
 表情を引き締めて言うと、ジュディはにやりとして「とか言って」と意地悪い声を上げた。
「どうする? 妖精の力と思ってたものが、実は霊的なものだったら……」
「ちょっ、違うってば! やめてよ、もう!」
 ノーラはぞわぞわと首の後ろが寒くなるのを感じて、慌てて首を振った。妖精は信じても幽霊だとかの類いは信じたくない。というか嫌いだ。幼い頃に母が面白がって聞かせてくれた心霊話のせいで、未だ暗がりで自分の足音にびくびくする事があるくらいである。
 青くなるノーラを見て、ジュディが「ごめんごめん」と笑って約束の銅貨三枚を差し出した。ノーラは「ほんとやめてよ!」と軽く睨み返しながら、苦い顔で受け取った。
 ところが手を滑らせて、コインを取り落としてしまった。あ、と声を上げるより早くチャリリンと床を転がっていく。慌てて追うと、ジュディが「逃げられてやんの」と茶化した。
「ノーラって、妙なところでドジよねえ」
「べ、別にドジなんかじゃないわよ」
「ドジよ。よく何もないところで蹴躓くし、手を滑らせるし」
 コインを拾って戻ると、ジュディは「でも安心なさい」と軽くノーラの肩を叩いた。
「そういう抜けてるところが愛嬌なのよ、ひっくるめて好きだわ!」
 飾り気のない直球の言葉に、ノーラは思わずフッと口元をゆるめた。
「ありがと、ジュディ」
 改めて椅子に腰を下ろすと、ジュディは満足したように頷いて、食事を再開させた。
「あー、でも、見つかって本当に良かった。ありがとね、髪飾りっ」
「いーえ、どう致しまして。また何かあったらいつでも言って」
 お代はもらうけどね、と財布を出して、ノーラは先刻受け取った銅貨をしまおうとした。
 ところが「はいはい」と笑うジュディが次に告げた言葉に驚いて、思わず手を止める。
「これで式の時に、あの髪飾り着けられるわ」
「……えっ? 式?」
 顔を上げると、照れたような笑みを浮かべるジュディと視線が重なった。
「うん、ちょっと急だけどね、あたし来月に結婚決まったから」
「結婚!?」
 半ば叫ぶように反芻すると、他の皆も「え、ジュディほんとなの?」「嘘っ」と口々に言葉を投げた。椅子から立ち上がり、ジュディの元へぎゅうっと押し寄せてくる。
 ジュディはほんのりと頬を染めながら「本当よう」とはにかんで見せた。
「式って言っても、親族の立会いで誓い合うだけなんだけどね」
 出会いはどこだとか、最年長の姐さんに「代わりなさい」とか、そういった言葉攻めにあい、もみくちゃに頭をかき回されながらも、ジュディはとても嬉しそうに笑っていた。
 しばらくの間を置いて、ようやく我に返ったノーラは、遅ればせに「はあ」と間の抜けた声を上げた。ただ、驚いたものの、幸せそうに笑うジュディの姿に胸の内がほっこりする。
「……そっか。じゃあ、さっきの占いのお代はいいや」
 ノーラは口元をほころばせて、周りを囲う皆をかきわけ、ジュディの手に銅貨を返した。
「え? でもノーラ……」
「結婚祝い。わたし、お代なしで人を占ったのなんて初めてだから、超レアな祝いよ」
 悪戯っぽく片目を瞑ると、一瞬きょとんとしたジュディは、すぐにぷっと吹き出した。
「そのケチくささ、ほんとノーラらしいわ!」
「でしょ? ……って、わっ、ジュディ?」
 がばりと抱きつかれて、危うく後ろに倒れそうになった。ガタンッと椅子が音を立てて傾ぐ。どうにか踏ん張って体勢を立て直すと、ジュディの華奢な体が小さく震えていた。
「くそう、毒されてるわ。ノーラのこんなお祝いに思わず感激しちゃうなんて」
 ジュディは涙声で呟いた。その言葉に微笑んで、ノーラはぎゅっと小さな体を抱き返す。
「本当におめでと。ずっと大好きだった相手だもんね」
 ジュディの腕にも力がこもり、「うん」と頷きが返ってきた。
「でも、いい? 旦那の財布はしっかり握っておくのよ」
 背中を撫でながら忠告すると、ジュディはムフフとくぐもった泣き笑いで肩を揺らした。
「解った、そうするわ。……ごめんね、式に呼べなくて」
「いいのよ、お祝儀代が浮くわ」
「ひっどい!」
 額と額とぶつけ合って、ノーラとジュディは笑い合った。

「……でも、ジュディがいなくなるっていうのはやっぱり寂しいわね」
 その日の夜、占いの館が閉館した後で、ノーラは改めて呟いた。当番で待合室にモップをかけていると、同じく当番のジュディが「やーん、ノーラったらっ」と茶化すように笑う。
 それに笑い返しながら「いや、真面目な話」とノーラは首をかしげた。
「わたし、ここじゃジュディ以外とは特別仲がいいわけでもないし……どうしようかしら。頑張って稼いでも、ここじゃほとんど経営側に納めなくちゃいけないし」
 ノーラは掃除の手を止めて、モップの柄の先にあごを乗せた。視線を上げながら、ジュディが辞めるなら別のところに移ろうかしらと呟く。
 と、ジュディが一旦周りを確認してから、そそそと足音を殺してノーラに歩み寄ってきた。
「ね。結婚祝いのお返しに、いい事教えてあげる」
 声をひそめて、ジュディは何やらポケットから紙を取り出した。何かのビラのようだ。
「……神術師(しんじゆつし)の助手、募集……?」
 ジュディの手元を覗き、書かれている言葉を反芻すると、ジュディはにんまり頷いた。
「さっき、ノーラが最後のお客を相手にしてた時にね、お城のお役人が配りに来たの」
 ——神術師というのは、この平和な小国・エゼル国の王城にのみ存在する、特別な役職の事だ。ノーラは見た事も会った事もないが、国の催事には必ず参列し、国の重要な吉凶を占うだけでなく、風や植物を操る事もできる『神術』を扱える存在という。
 そんな神術師の、助手——。ざっとビラに目を通すと、応募資格には「身分不問。一芸に秀でた者、特に占い師など歓迎」と書かれていた。
「神術師の助手に、占い師が欲しいって事?」
 首をひねると、ジュディは面白そうにビラをはためかせる。
「そういう事じゃない? ね、稼げそうでしょ、何せ王城のお抱えになるわけだし」
 お抱え。その言葉に、ノーラは思わず「そそられるわね」と、口の端をにやりと上げた。
「でしょ? ノーラは好きそうだと思ったんだー」
「他の皆も行くって?」
 顔を上げて問うと、ジュディは「ううん」と軽く首を振った。
「皆はさ、堅苦しそうとか、お城に着て行く服がないだとか、何やかんやで行かないって」
 要するに恥かきたくないんでしょというジュディの言葉に、ノーラは呆れて眉を寄せた。
「勿体ない事するわ。せっかく身分不問なのに。自ら稼ぐチャンスを逃すなんて」
「あっはは、ノーラらしい言い分ね」
「——ちょいと、ジュディ!」
 その時だった。バタンと事務室の扉の音が鳴り、中から四十も半ばを過ぎた、貫禄のある女性が姿を現した。ノーラ達と同じように黒っぽい服に身を包み、濃い化粧で飾った、この占いの館の経営者だ。ここの占い師達は皆、敬意を表して「ママ」と呼ぶ。
「げっ、ママ!」
 ジュディが大仰に肩を跳ね上げ、持っていたビラごとモップを抱き締めた。
 ママは足早に歩み寄って「このお馬鹿!」と、ジュディの頭を軽くはたいた。
「ノーラには話すなって言っただろうが!」
 思わずノーラが「えっ」と聞き返すと、ジュディは悪戯っ子のように舌を出した。対してママは大根でも引っこ抜くかのような力強さで、ノーラの両腕をしっかり捕らえる。
「ノーラ、聞かなかった事にしておくれ! あんたに出て行かれるのは困るんだよ!」
 その言葉に、ああ、とノーラは苦笑した。
 ——この占いの館で『本物』と言われているのは今のところノーラだけだ。『的中率百パーセントの占い師がいる店』というのは、少なからず客引きに役立っているらしい。
 しかし、今回の神術師の助手の募集は、どう考えても収入増加のチャンスなのだ。ここでおめおめと引き下がるノーラではなかった。
「ねえ、ママ? わたし思うのよ」
 ノーラはそっとママの腕に手を添えると、やわらかな微笑みを浮かべて進言した。
「どうせなら、『モノ探しの的中率・百パーセントの店』よりも、『王城お抱えの占い師がいた店』のほうが、お店に箔が付くと思わない?」
「へっ?」
「何なら『王城お抱えの占い師が指導した店』とか嘯いても、誰も気付かないと思うの。物探しって地味だから、集客には役立っても、わたしの指名率は皆と大差なかったでしょ?」
 少しばかり、間が空いた。
 目を丸くするママに、ノーラは静かな笑みをたたえたまま、黙ってこくりと頷く。
 と、ママはノーラの腕を掴む手に力を込め、打って変わって気合たっぷりに言った。
「面接試験、行っといで! 絶対に受かってくるんだよ!」
「ありがとう、ママ! わたし頑張るわ!」
 抱きついたママの背で、ノーラはジュディに親指を立て、片目を瞑って見せたのだった。

   ‡

 三日後——。ノーラはママとジュディの応援を背に、意気揚々と出発した。
 一張羅なんて持っていないので、いつもと同じ立襟の質素な黒のワンピースに肩がけの布鞄、くたびれた皮のブーツ。経年に磨り減った靴底をぺたぺたと鳴らしながら、都の西端にある下町を抜け、高級住宅街に入り、都の中央にそびえるいっとう大きな建物を目指す。
「——はあーっ、さすがに近くで見ると圧巻ね」
 そうして歩く事、小一時間。下町の石砂利道とは違い、綺麗に舗装された道をトンと踏み締めて、ノーラはかつてないほど近くで王城を見上げた。
 昼前の太陽を浴びた乳白色の王城はまばゆく輝き、都のどこにいても必ず見える尖った青い屋根は、澄んだ青空よりも深い色をして力強く天を貫いている。
 城の周りを囲う堀にかかる橋を進むと、訪問者を歓迎するというよりは威圧するような重厚な大門が見えてきた。そこには王家の紋章だけでなく、鷲やら女神やら天使やら、縁起が良く高貴な彫刻が堂々と彫り込まれている。平坦でのっぺりした、下町の石灰壁とは大きな違いだ。なるほど、住む世界の違いに、同僚達が応募を躊躇したのも解らないではない。
 門へ近付くと、門番兵と目が合った。物珍しげにきょろきょろしていたノーラを不審に思ったのか、握っていた槍を持ち直し、こちらを睨んでくる。
 ノーラは反対に害のない笑みを浮かべ、凛と背筋を伸ばしたまま自ら門番兵に近付いた。
「あの、すみません。わたし、神術師の……」
「わあーっ! すみませーん!!」
 その時だった。大声が聞こえ、ノーラは肩を跳ね上げた。そして後ろを振り返った瞬間、
「わぶ……ッ」
 目の前にバサバサっと紙束が飛んできて、ノーラの顔面を直撃した。
「わっ、す、すみませんっ、大丈夫ですか!?」
 ずるりと引きずり落ちた紙束の向こうから、三十手前くらいと思われる一人の男性が走ってくる。栗色の髪と、眼鏡の奥には穏やかな青みがかった灰の瞳。白のシャボタイシャツに上質ながらも簡素な外套を羽織った貴族様だ。
「痛くないですか? 痛いですよね!」
「そ、そうですね、痛いですね」
 打ち付けられて赤くなったであろう額や鼻をさすりながら、それでもノーラは笑みを絶やさず答えた。それどころか、落ちた紙束を丁寧に拾い上げる。相手は優しそうな紳士だ。この仕打ち、ふっかければ金貨の一枚や二枚は取れるかもしれない。
 けれどそんなノーラの目論見は、紙束を相手に差し出した瞬間に崩されたのだった。
「あ、もしかして神術師の助手の面接に来られた方ですか?」
「え? ええ……そうですけど」
 男性は「やっぱり」と、何故かノーラの肩の辺りをちらと見て微笑み、ノーラが拾い上げた書類をパラパラとめくった。その内の一枚で手を止めると、眼鏡を押し上げながら「ノーラ・オルコットさん」と、名乗ってもいないのにフルネームを当ててしまう。
 ノーラは軽く目を瞠った。——もしかして面接関係者なのだろうか。改めて相手の男性をまじまじと見る。一見は普通の、むしろ地味な貴族といった感じだが、服の布質も仕立ても良くて、宮仕えの人と言われればさほど不思議ではない。
 口をつぐんだノーラに、男性は穏やかで掴みどころのない印象の微笑みを浮かべると、「ちょうどいいですね」とその手の平で城の門へと促した。
「僕もこれから面接の場に戻るところですので、一緒に行きましょうか」
「え? は、はいっ。……あの、でもどうして、わたしが面接に来た人間だと……?」
 訊ねると、男性はきょとんと目を丸くした。それから「ああ、そうか」とまたノーラの肩に目を向ける。しかし、つられてノーラが自分の肩を見ても、別に何があるわけでもない。
「あの……、ッぶ」
 重ねて問おうとした時、再び一陣の風が吹き抜けた。そのせいで、男性の手にあった紙が何枚か留め具から外れ、またノーラの顔に直撃する。ずるりと落ちた紙束を、ノーラは下に構えた手で受け取った。今度はさすがに、ひくりと笑みが引きつってしまう。
「わっ、本当にすみません……! おかしいな、普段はこんな悪戯しないんですけど……」
「悪戯、ですか?」
 確かに、風の悪戯といえば悪戯ではある。何だか憎めない事を言う人だなと、ノーラはくすりと笑んで改めて書類を男性に渡した。男性は申し訳なさそうに首をすくめながら、受け取った紙束を抱くように押さえて「すみません、では行きましょうか」と先導する。
 ノーラは赤くなった鼻をさすりつつ、その面接官らしき男性に続いて大門をくぐった。

 案内されたのはお城ではなく、お城から少し離れた場所だった。
 緑豊かで花壇の随所に彩りが咲き乱れる広大な庭園を進み、横手に道を逸れると、そこに立派なお屋敷が建っていた。窓の形から見て一階建てのようだが、屋根は高く、横長の外観は端と端を見渡すのにも首が疲れそうだ。薄茶の石壁と、そこに着飾るように絡まるツタが、お城とは違って少し懐古的な印象を与える。正面の玄関扉の脇には、人が五、六人は手を繋がないと囲めないであろう、大きな支柱が二本ずつあって……。
 ノーラは呆気に取られた。——城の敷地内に、もう一つ小さな城があるみたいだ。
「では、僕は裏から入りますので。ノーラさん、また後でお会いしましょう」
 思わず立ち止まって屋敷を見ていると、先へ進んでいた男性がこちらを振り返った。男性は穏やかに微笑み、軽く会釈して、小走りに屋敷の裏手へ回って行く。頭を下げてその後姿を見送ってから、ノーラは相手の名前を訊き忘れた事に気が付いた。
 しまった、とノーラは軽く自分の頬を叩いた。どうせなら探りを入れれば良かった。これから面接だというのに、気を抜いていては駄目ではないか。
 しっかりしろと自分を叱咤して、改めて屋敷の玄関に近付く。入り口に立つお仕着せの男性に名前を告げて、中に入る。——と、
 外から館内に入ったというのに、急に視界が明るくなった気がした。
 そこだけで、働いていた占いの館が納まるのでは、と思うほど大きなエントランス。
 白黒の正方形が交互に並ぶ磨かれた石床。見上げるのも首が痛い天井には、天使や女神らが舞う絵画があって、それは壁にまで繋がって描かれている。柱一つにも彫り物が施され、吊り下げられたシャンデリアが、射し込む陽光をキラキラと幻想的に反射させていた。
 初めて目にする華やかな内装に見惚れていたノーラは、はっとして表情を引き締めた。
 吐息して胸を落ち着かせ、辺りを見渡すと、ノーラと同じ年頃の人から、五、六十をゆうに越していそうな紳士淑女まで、ざっと数えて五十名近い男女が集まっているのが見えた。しかしその数でさえ、このエントランスでは少なく感じられる。
 ノーラは奥へと足を進めた。
 途端、その場にいた紳士淑女の視線が一斉に集まってくる。皆、上品な服にピカピカに磨かれた靴を履いていた。そのほとんどの人が手に水晶玉やらまじない札を持っていて、やはりお金持ち相手に商売する占い師が多そうだ。ただのワンピースにくたびれたブーツなんて格好をしているのは、間違いなくノーラ一人だけだった。
 それでもここで臆したほうが負けだと思い、ノーラはぴんと背筋を伸ばし、そのまま皆が集まっている一画まで、真っ直ぐ足を進めた。
「——仮にも王城へ来ようというのに、なんて格好かしら。まるでちんけな見習い魔女ね」
 カツン、とかかとの高い靴を鳴らし、一人の女性が物珍しそうに近付いてきた。その身を覆う真っ赤なドレスは燃えるようで、金糸が織り込まれているのか布が揺れる度にチカチカと眩しい。胸元を大きく露出し、濃い蜂蜜色の髪は大きくくるくると巻かれていた。
「神術師様は、社交の場にも招かれる高貴なお立場なのよ。あなたみたいな品のない子が応募するなんて……身の程を知らないというのは怖いわね」
 嫌みったらしく笑う女性に、ノーラはふわりと落ち着いた微笑みを返した。
「確かにレディに比べれば、わたしなんて魔女っ子に違いありませんわね。レディの華やかさは立っていらっしゃるだけで目を惹きますもの。まるで酒場の踊り子みたい」
 敢えて大きな声で答えると、周りからクスクスと笑う声や、上ずった咳払いが聞こえた。
 女性は顔を赤く染め、口をぱくぱくと開閉させた。言葉が出ないのか、唇を噛み締める。
 勝った、と内心であごを上げて、ノーラは女性から視線を外した。
「——皆様、本日はお集まりいただき、誠にありがとうございます」
 不意に、皆が集まっていた一画の一番近くにあった扉が、ガチャリと音を立てて開いた。
 目を向けると、そこには、入り口にいたのとは別の男性が立っていた。お仕着せの男性は深々とお辞儀すると、何やら書類を取り出してそこに視線を落とす。
「これからお名前をお呼びするお二方は、前へ歩み出て下さい」
 二人ずつの面接か。ふむと口に手を当てたところで、男性が淡々と名前を読み上げた。
「アドリアナ・マーレイ様。ノーラ・オルコット様」
 最後に来たノーラが早々に呼ばれて、少し驚いた。お腹の前できゅっと手を握り、慌てて歩み出ると、側にいたあの派手な女性も共に歩み出て、思わず互いの視線がかち合う。
 改めて微笑むと、レディ・アドリアナはフンと鼻の頭にしわを寄せた。
 お仕着せの男性は、ありがとうございますと一礼して、ノーラ達の背後に視線を戻した。
「では、他の皆様は、誠に残念ではございますが、此度は縁がなかったという事で、どうぞ速やかにお引き取り下さい。本日はご足労いただき、誠にありがとうございました」
 瞬間、ホールがざわめき立った。
 呼ばれた側のノーラでさえ、ぎょっとした。
「ご静粛に願います。この場が王のお膝元である事をお忘れになりませんよう。館にお入りいただいた時から、神術師様による審査は既に始まっておりました。よって、結果が覆る事はございません。どうぞ速やかにお引き取り下さい」
 王の膝元。人々はその言葉に抗う気力を削がれたらしく、苦い顔で口々に何か呟きながらも、大人しく去っていく。何とも品が良く引き際のいい事だ。ノーラは顔をしかめた。自分なら無理だ、面接官と顔も合わせず落とされるなんて、納得できるはずがない。
 ……それにしても、思っていた面接とは何だか違うみたいだ。
「では、マーレイ様、オルコット様はこちらへどうぞ」
 促され、ノーラとレディは先へ行く男性の後に続いた。
 次の部屋に移ると、そこは少しくつろいだ空間となっていた。部屋は広いが暖炉やソファがあり、直接庭に出られる大きな窓からの日差しが、穏やかで心地良い。応接間だろうか。
 奥のソファに、一人の男性が腰掛けていた。その姿に、ノーラは「あ」と声を上げる。
 こちらに気付いて立ち上がった男性は、間違いなく、先刻の書類の人だった。
「ダリウス様。お二方をお連れ致しました。……あの、レノックス様は……?」
「彼はいつも通りですよ。今回の面接は『任せる』そうですから、気にしないで下さい」
 ダリウスと呼ばれた男性は、苦笑交じりにそう告げると、お仕着せの男性に下がるよう命じた。そうして、改めてこちらに目を向ける。
「初めまして。神術師のダリウス・レイモンドと申します」
 ダリウスは、右手を胸に添えて、深々と一礼した。
 ——嘘、この人が神術師……?
 ソファの近くで立ち止まったノーラは、目を丸くした。自然の力を操るだとかで、神々しいだの胡散臭いだの噂があるにしては、ダリウスがあまりにも『普通の人』すぎて驚いた。
 そんなノーラの視線を、どう受け取ったのか。ダリウスは「あ。ノーラさんは初めましてではないですね、先刻は失礼しました」と人のいい笑顔を浮かべた。
 ノーラはひとまず微笑みを返し、軽く頭を下げる。
 ダリウスは頷いて、テーブルを挟んで自身の向かいにあるソファに手の平を向けた。
「どうぞ、お二人ともおかけ下さい。これから面接を始めさせていただきます」
「アドリアナ・マーレイと申します。どうぞお見知りおきを」
 一歩だけ前に出ていたノーラを軽く押しのけて、レディがにこやかに挨拶をした。ドレスの裾を持ち、上品にお辞儀をしてからダリウスの真向かいに腰を下ろす。
 押しのける事はないだろうにと内心で呆れながら、ノーラは小さく吐息して胸を落ち着かせると、「よろしくお願いします」と頭を下げて、レディの隣に座った。
「お二方とも、現在は占い師をなさっているのですね」
 最後に腰を下ろしたダリウスは、手元の書類を軽く確認してからそう切り出した。
「ええ、パレンバーク公爵様にも懇意にしていただいておりますわ」
 レディが胸に手を当て、自信満々に告げた。公爵様というのだから、偉い人なのだろう。
「そうですか。結構な事ですね」
 けれど、自慢げなレディとは裏腹に、ダリウスは毒気のない笑顔で相槌を返しただけだった。レディが肩透かしを食らったように目を丸くする。
「何の占いがお得意ですか?」
「え、あ、ああ……わたくしは、相手の一、二か月先の陰陽を感じられますの。先見に近い力ですから、社交会でも重宝されますのよ」
 ダリウスの落ち着いた質問に、レディはこほんと一つ咳払いして答えた。再び気を取り直したように豊満な胸を突き出し、姿勢を整える。
 そんな二人のやり取りを見ながら、ノーラは内心で首をひねった。先刻と同様、今も一体何を審査されているのか、よく解らない。占いの話を切り出すという事は、やはり募集にあったように、占い師を欲しているのだろうか……?
「そうですか。では、それぞれのお力を拝見できますか?」
 考えていると、ダリウスは笑顔で言った。
 レディのように華やかな自慢話など持たないノーラは、占いの実践なら自信があるから大丈夫かなと少し肩の力を抜いて、口元をほころばせた。
「では、アドリアナ嬢、お願いできますか」
「ええ、勿論ですわ」
 レディは力強く頷くと、真っ赤に彩られた爪の細い手を、ダリウスに差し出した。
「ダリウス様のお手を拝借できますかしら」
「はい。では、お願いします」
 会釈して差し出したダリウスの右手を取り、レディは静かに目を閉じた。
 その様子を、ノーラはじっと横から眺めた。どう出るのだろうと待っていると、少ししてレディは「失礼ながら翳りが見えますわ」と静かに告げる。
「あまりご無理はなさらないほうがよろしいですわね。何かお悩み事がおありでも、あまり変化は望まれないほうがよろしいのではないかしら」
 その占い結果に、ノーラは内心でレディに感心した。
 媚び媚びの人かと思ったが、面接だからと言って占いに妥協はしないらしい。悪いものは悪いと告げるのは、占い師として大切な事なのだと、死んだノーラの両親も言っていた。
「そうですか。ありがとうございます」
 ダリウスも気を悪くしたふうでもなく、穏やかに微笑んで眼鏡を指先で押し上げた。
「では、次にノーラさん、お願いできますか? 履歴書には、探し物が得意とありますね」
 呼ばれて、ノーラが「はい」としっかり頷くと、
「ま、可愛らしい力ですこと」
 レディが小馬鹿にしたように笑った。言い返すのは控えたが、さすがに少々ムッとする。
「これと同じものがどこにあるか、解りますか?」
 と、ダリウスが、何やら懐から鈴の付いたリボンを取り出した。真紅のベルベットでできた、ぬいぐるみの首などに付いていそうな細いリボンだ。
 それを見たノーラは、鞄から水晶を取り出して「二つ伺います」と頷いた。
「探す物は、これとまったく同じものですか? それと持ち主はダリウスさんでしょうか」
「はい、色も大きさも同じです。持ち主は……レノックス・ラドフォードという男ですね」
 ノーラはそこで「解りました」と承諾した。そうして、いつも通り水晶にキスをする。
「深紅のリボン、素材はベルベット、鈴。持ち主はレノックス・ラドフォード……」
 呟いて、静かに意識を集中させた。
 しばらくして視えたのは、昼間だというのに少し薄暗い部屋だった。カーテンが閉め切られているのだろうか。かろうじて確認できる、手前の棚に並んでいるのは……。
「……ドール、でしょうか? ……薄暗い部屋の棚にドールが並んでいて、その内の一体の足元に、同じリボンが落ちています」
「結構です。ありがとうございます」
 ダリウスの言葉に、ノーラはほっと安堵した。そしていつも通り、胸中で「ありがとう」と感謝した、その時。——一瞬、水晶の中に『虹』が見えた気がした。
「え……?」
 思わず再確認する。が、薄暗い部屋に虹なんて見えるはずもない。何かの光が反射したのだろうか? 首をひねったところで、ダリウスに「どうかしましたか?」と問われた。
 顔を上げると、不思議そうに丸くなった灰色の瞳が真っ直ぐノーラを捉えていた。
「あ、いえ……何でもありません」
 見間違いだろうと思い、ノーラは微笑んで誤魔化し、首を振った。
「そうですか。では、最後にお二人に伺います」
 しかしダリウスのこの言葉に、今度はノーラのほうが目を丸くした。
 これで最後とは、何という簡潔さだろうか。本当に、何の面接なのだろう……?
 眉をひそめると、ダリウスが片手に持っていた書類を横に避けて、自身の膝の上で軽く手を組んだ。上体をわずかに前傾させて、真っ直ぐにこちらを見据えながら問う。
「お二人は、その占いの力をどうお思いですか?」
 え、と声に出さずノーラが口を開けると、発言を指名されるよりも早く、レディ・アドリアナが意気込んで身を乗り出した。
「今後も修行を積めば、もっと明確に、例えば未来が見える事もあるのではないかと思っております。わたくしは必ず、神術師様のお役に立ちますわ!」
 その言葉は自信に溢れ、ぐいぐいと圧倒されそうな勢いがあった。
 面接としては正しい答えだよなあと、ノーラは唇を引き結んだ。そして、自分はどう答えようかと思考をめぐらせる。やはり自分もレディのように、印象の良い事を言うのが正解だろうか。そう、当たり障りのない、レディと似たような……。
 ——『ノーラ。占いは妖精の力だ、決して感謝を忘れてはいけないよ』
 不意に懐かしい声が脳裏に響き、ノーラはお腹の前で両手をきゅっと握り合わせた。
「では、ノーラさんは、いかがです?」
 レディの声に頷いたダリウスが、順当にノーラへ視線を投げた。
「——わたしは、この力を貸してくれている妖精に感謝しています」
 ノーラは、そんなダリウスの灰の瞳を真っ直ぐに見据え、きっぱりと答えた。するとダリウスが驚いたように口をぽかりと開けた。眼鏡がずれて、「は」と抜けた声を上げる。
 途端にレディが軽く身を反らし、口元に手の甲を当てて「ほほほ」と高らかに笑った。
「可愛らしい事をおっしゃるのね! 夢を見たいお年頃なのかしら?」
 明らかな嘲笑に、ノーラは眉根を寄せた。さすがに黙っておれず、言い返そうと口を開きかけると、ダリウスが制止するように軽く手を挙げ、先に口を開いた。
「——そうですか。いや、よく解りました。お二方ともありがとうございます」
 ダリウスはコホンと咳払いすると、眼鏡を押し上げて、軽く一礼した。
「以上で終了とさせていただきます」
 落ち着いた声に、ノーラはレディへの文句を飲み込んで小さく吐息した。そして、あっという間に終わった面接に、どこかすっきりしない気持ちで髪を耳にかける。
 何やら消化不良というか、不完全燃焼というか……眉を下げ、内心で首をひねった。
「あの……それで、ダリウス様。合否はいつ頃に?」
 レディも似た思いなのか、怪訝な声で首をかしげた。ダリウスはこれに一つ頷くと、
「ええ、これからお伝えしますよ」
 レディが期待に目を輝かせ、ノーラは手ごたえの善し悪しも解らないまま、静かにダリウスを見つめた。二様の視線を受け止めたダリウスは、まずレディに穏やかな声を返した。
「アドリアナ・マーレイさん。本日はご足労いただき、ありがとうございました」
「はいっ、こちらこそ大変有意義な時間でしたわ!」
 はきはきとした自信たっぷりの返答に、ダリウスが安堵したように目を細めた。
「ああ、それは良かった。ただ、残念ながら今回はご縁がなかったという事で——」
「はいっ! こちらこそ今後ともどうぞよろしくおね……はい?」
 意気込んだレディの言葉は、最後には素っ頓狂な声に変わって、ひっくり返っていた。
 ダリウスはにこりと笑うと、次いでノーラに穏やかな目を向けた。
「ノーラさんには、この後、改めていくつか確認をさせていただきますが、できれば明日からこちらの屋敷に移り住んでいただいて、お仕事をお願いしたいのですが」
「……えっ?」
 ノーラはノーラで、頓狂な声を上げて、軽く目を見開いたのだった。
「あ、わ……わたし、合格ですか?」
「はい、合格ですよ」
 ダリウスの肯定に、ノーラは二の句を告げず呆けた。そこで、
「どっ、どういう事ですの、審査基準はどこにありましたの!?」
 レディ・アドリアナが勢い良く立ち上がった。キン、と骨に響くような甲高い声だ。
 ダリウスはふむと息をつき、指先で眼鏡を押し上げた。
「それは——」
「——ごちゃごちゃと、うるさいな」
 その時だった。不意に、低くお腹に響くような低音が割って入った。
 驚いて振り返る。——と、ノーラはさらに驚いて目を見開いた。
 扉口に立っていたのは、ノーラと似た年頃の長身の青年だった。ざっくりと三つ編みにして肩に垂らしているのは、光の角度によっては大人びた紅茶色にも、澄んだ陽光のような金髪にも見える、不思議な色の髪。切れ長の深い紫紺の瞳は気だるげにも見えるが、意志の強そうなきりりとした眉や薄い唇、すらりと通った鼻筋が、凛々しい印象を抱かせる。
 一見細身だが、無造作に肌蹴られたシャツから覗くのは、程好く均整の取れた胸元。貴族の衣装を乱暴に着ているのに、その立ち姿からは荒々しさよりも気品が感じられる。
 絵画の天使よりも美しい青年——。
 ノーラは思わず見惚れて、
 それから青年の腕に抱かれた『あるもの』が視界に入り、うん? と眉をひそめた。
「金切り声なんか上げるなよ」
 レディを一瞥した青年は、「なあハナ」と、憂えた表情で腕の中のドールに話しかけた。
 ——そう、その腕に抱かれていたのは、人の肘先くらいの身長がある、六、七歳くらいの容姿の可愛らしいドールだったのだ。
 ノーラは見惚れて瞠っていた自分の目が、呆れた半眼に変わっていくのを自覚した。
 格好いいのは認める。確かにドールを抱く姿も絵になっている。が、
 何故、話しかける……?
 白けたノーラの様子など知る由もなく、青年はノーラ達の座るソファの横手まで優雅に歩み寄ると、軽く腰をかがめてレディ・アドリアナの顔を覗き込んだ。
「せっかく甘そうな飴色の髪なのに、カラい事ばかり言うなんて……な」
 そうして、レディの髪をすくっておもむろに梳き始める。
 途端にレディはぱっと頬を上気させ、「あ」と妙にしおらしい声を上げた。
 ノーラは悪い意味で背筋がぞくぞくするのを感じた。
 駄目だ、背中がかゆい。ドールだけでも何か残念なのに、その上女たらしとは——。
「せっかくの美しさが台無しだ」
 しかし青年は、やっぱり臆面もなくそんな言葉を吐いて、レディの髪を指先で撫でた。
 レディは熟れたトマトのように一層顔を赤く染めて、恥じらいに目を伏せた。
「で、ですが……あまりにも、理不尽ではありませんか? わたくしはこれまでも、多くの社交会で占って参りました。名だたる貴族様方の中で、わたくしの名を知らぬ方などおられないはずです。必ず、あなた様のお役にも立って見せますわ、ですから……」
 なおも続けるレディの言葉に、く、と肩を揺らした青年の表情が、そこで一変した。
 それまでの憂えた表情はどこへやら、片方の口角を持ち上げて不遜に笑うと、青年は艶のある声で喉を鳴らした。上体を起こしてレディを見下ろし、切り捨てるように言い放つ。
「神術師が何なのか見抜く力も持たない奴が、偉そうな事を言うもんじゃないな」
 青年はさっとドールの頬を撫でると、その手をレディの目の前に差し出した。瞬間、その手の平にあった小さな粒から、しゅるると何かが伸びてくる。うねり、異様な速度で黄緑から濃緑へと色を変えるそれは、ノーラもよく知った棘のある植物——、茨、だった。
 異様な光景に、レディがヒッと息を呑んだ。ノーラも、愕然と目を見開く。
「きゃッ、あああァ!」
 棘が頬に触れそうになった時、レディは勢い良く踵を返して一目散に広間を出て行った。
「ふん、髪以外は美しさの欠片もないな!」
 青年は意地悪く笑んだままあごを上げた。してやった、みたいな表情だ。
 ノーラは呆然として、自分の手の甲をつねった。けれど現実的な痛みとは裏腹に、目の前の非現実的な光景はかすむ事すらない。何故、人の手の平から茨が生えてくるのか。何か仕掛けのある趣味の悪い玩具というわけでもなく、鼻腔をくすぐるのは植物独特の青臭さで、今でもそれは青年の手の上でうねりを見せている。
 そこでふと、青年と目が合った。青年が、その目を軽く見開く。
 ノーラは曖昧に口角を上げ、どうにか愛想笑いを浮かべた。
「ああ、騒がしくしてすみません、ノーラさん」
 気付いたダリウスが、間を取り持つように声を挟んだ。
 腰を上げ、青年の隣に立つと、落ち着いた仕草で青年に手の平を向ける。
「彼はレノックス・ラドフォード。神術師は現在、僕と彼だけなのですが、彼はこの国史上、最高の神術師なんですよ。それからレン、こちらが——」
 そこでレノックスが突然、ダリウスにドールを押し付けるように預け、茨を床に放り捨てて大股でノーラに歩み寄った。
 ノーラが驚きに声を上げる間もなく、レノックスはノーラの肩を掴んで立たせると、あごを取り、真顔で頭一つ上から瞳を覗き込んできた。次いで上から下までまじまじと眺められて、何事かと体を硬直させると、今度は肩から離した手でガッと腰を掴まれて——、
「わ……っ!?」
 ノーラは、ふわりとレノックスに抱き上げられてしまった。
 思わず上げたノーラの声は、完全にひっくり返っていた。
 細く見える体の、どこにこんな力があるのか。瞬きも忘れ、先刻は見上げていた紫紺の瞳を、今度はノーラが上から見下ろす。視線のやり場にも手のやり場にも、それから足のやり場にも困って、不安定なのに妙に安定したこの体勢が恥ずかしくなった。
「あ、あの……っ」
 頬が上気するのを感じながら、困惑の声を上げると、レノックスはうっとりと紫紺の瞳を細めて、溜息混じりに口を開いた。
「……綺麗だ」
「は、はい?」
 反射的に素っ頓狂な相槌を返した。けれどレノックスは、ノーラが困惑し慌てているその
様子さえうっとり眺めると、甘くしびれるような声でそっと囁いた。
「お前、脱げ」
 ——妙な間が空いた後、ノーラがレノックスの頬を引っぱたく音が、部屋中に木霊した。

  ‡

 仮にも上司となる男を殴ってしまい、ノーラは「働く前に首が飛んだ」と思った。むしろ首にならなかったとしても、あんな破廉恥な男の下で働けるものかと、内心で今回の話を断る決意をしていた。——はずなのだが、
「屋敷に住み込みで三食付き、その上給金がこれまでの二倍なんて言われたら、断れるわけないじゃない……!」
 翌朝、ノーラは占術師専用という、面接が行われたあの屋敷の中、自分にあてがわれた寝室の鏡台前で、強く拳を握り締めていたのだった。
 ——レノックスを殴った後、慌てた様子のダリウスが間を取り成してくれた。どうやら神術師に関われる資格を持つ者は多くないらしく、辞退されると困るのだと懇願されたのだ。それに折れたノーラは、昨日の内に占いの館への報告を済ませ、手配された馬車で、住んでいた集合住宅の一室から大してなかった私物を運び込み、今に至っているわけである。
 結局、面接の審査基準は解らないままだったが、ノーラしかいないと言われては悪い気はしなかった。何より給金が破格過ぎて『辞退』の選択肢ははるか彼方へ消えていた。
 何せ、五倍。五倍なのである。
「……上司が破廉恥だろうが何だろうが、それさえ耐えれば楽園って事よね」
 ふふふ、とノーラは低い笑みを漏らして、鏡越しに軽く室内を見回した。
 広さは集合住宅の一室の十倍くらいだろうか。庭に面した窓は室内に開放感を与え、植物を連想させる幾何学模様の描かれた壁には、大きな風景画が飾られている。暖炉の上には触るのも恐ろしいようなピカピカの壷があって、天蓋付きの寝具も、以前の最低五倍くらいは大きく、シーツには絹が使われているという贅沢ぶりだ。
 寝間着から着替え終えた服は、相変わらずの質素な黒いワンピースだったけれど、余裕ができたら少しだけ上質な服を買ってみるのもいいかもしれないと思った。
「……やばいわね。自立万歳だわ」
 思い切って応募して良かったと自分で自分に頷き、ノーラはいつものように髪を結わえて「これで良し」と立ち上がった。
「さて。……とりあえず、ダリウスさんのところへ行けばいいのかしら?」
 呟いて、ノーラは踵を返して扉に向かう。
 昨日は思わずお金に目がくらんで二つ返事をしてしまったが、結局、助手の仕事の詳細は聞きそびれたままだ。そんなに難しくないというような事は、聞いた気がするけれど……。
 考えながら、廊下へ続く扉をガチャリと開けた。
「……あ」
 途端、ノーラは盛大に顔を引きつらせた。そこにはレノックスが、今まさに扉をノックしようとしていたかのように手を挙げて立っていたのだ。
 ノーラは自分で押し開けた扉を、反射的に再び引いた。
 ところがレノックスが素早く自分の足を挟み込み、途中で扉が閉まらなくなる。
「よう、ノーラ。今日も美しいな」
 低く艶のある低音で、穏やかな挨拶を寄越された。顔を上げると、扉の隙間に不敵な笑みが覗いている。どこかへ行く予定でもあるのか、レノックスの服は昨日と違って整えられ、ボタンもタイもしっかりと留まっていた。もう少し笑顔がほがらかなら、この人が王子ですと言っても遜色がないようないでたちだ。
 ノーラは、ふふ、と小さく微笑んで言葉を返した。
「オハヨウゴザイマス。近付かないで下さい」
 引きつった声で挨拶すると、しかしレノックスはノーラの拒絶など気にしたふうもなく、
「逃げるなよ。なあ、モデルを請ける気になったか?」
 どこか弾んだ声でそう言った。その言葉に、ノーラはむ、と顔をしかめる。
 ——モデル。そう、レノックスは初対面以来ずっと、ノーラをデッサンしたいと申し出ているのだった。しかもただのモデルではなく、よりにもよって裸婦画である。
「昨日もお断りしました。請けません。生涯、気が変わる事はありません」
 きっぱり首を振ると、レノックスは不服そうに「何でだ」と眉根を寄せた。
「勿体ないだろ」
「勿体ないの意味が解りません」
 ぴしゃりと返すと、レノックスが眉間のしわを深くした。かと思えば、おもむろに扉の隙間から手を差し込むと、ノーラの抵抗も何のその、扉をあっさり全開にしてしまう。
 レノックスは怯んだノーラの腕を強引に掴むと、ぐいと引き寄せて、絵物語の主人公みたいな整った顔をノーラに近付けた。そうして、不満げに顔をしかめ、きっぱりと告げる。
「あのな、勿体ないに決まってるだろ」
 は、とノーラがうろんな目を返すと、レノックスは一旦腕を放し、ノーラの髪をすくってさらりともてあそんだ。次いでノーラの頬、あごと指先を滑らせ、うっとり言葉を続ける。
「濡れ羽色の髪は艶やかだし、顔立ちも、一見キツい印象を与えそうな猫目だが、ラピスラズリをはめ込んだような澄んだ瞳と、控えめで愛嬌のある口元が雰囲気をやわらげていて、非常にバランスがいい」
「いや、あの……」
 抗議の声を上げようとすると、指先があごから服越しの首元をたどって、ぞくっとした。「それに、しなやかで無駄のない引き締まった体、凛とした姿勢——すべてが美しくて目を惹く。それを描き留めなくてどうする?」
 一瞬、息が詰まって言葉を呑むと、その間にレノックスの手はノーラの肩を辿り、二の腕から指先までを形を確かめるようにゆるく撫で下ろした。
 変にこそばゆくて、猫が毛を逆立てるみたいに足元から戦慄が走る。
「……ッ、ああ! もうッ!」
 レノックスの表情は至って真剣そのものだったが、ノーラはそれをギッと睨み上げて、腕を思い切り振り払った。
「……あの、ですね! レノックスさん!」
 鳥肌の立つ自分の腕を抱き締め、さすりながら抗議する。が、すべてを言い切る前にレノックスは首をかしげ、「面倒くさいからレンでいい」と口を挟んだ。
「レンさん!? あのですね、あなた、何と言うかですね」
「俺は十八だ、お前とそう歳も変わらない。堅苦しい敬語も結構だ。遠慮するな」
 その言葉に、ノーラはほおうと目を細めた。ならば遠慮してやるものかと、あごを上げて息を吸い込み、全身全霊で「なら言わせてもらうけど!」と声を荒らげる。
「離れて! 触らないで! 不必要に近付かないで! そんなに美しいものが描きたいなら自画像でも量産しておけばいいじゃない、そしたら世間は平和だわ!」
 嫌味のつもりで言ったのだが、しかしレンはまたも真面目な顔で眉をひそめると、
「いや、自画像は描き飽きた」
 謙遜しろ、そこは……!
 ノーラは思わず、握り締めた拳を目前の鳩尾にねじ込んでやろうかと考えた。
 しかし、さすがにぐっとこらえる。暴力は駄目だ、ここは我慢しなければ。お金の為と思えばいい、お金の為お金の為……。
 口の中で小さくブツブツと繰り返し、自分に言い聞かせ、俯いて一度レンから視線を逸らす。そして大きく息を吸い込み、同じだけ吐き出すと、少しだけ心が落ち着いた。
 ノーラは、ふっと口元に微笑を浮かべた。
 静かに目を細めると、そんなノーラの表情の変化に、レンはおやと目を瞬かせる。
 その不思議そうな顔に向かって、ノーラは「ねえ?」と首をかしげて髪を揺らした。
「人にモデルなんて頼む前に、女性の扱いをもっと研究したらいいんじゃないかしら?」
「あ……?」
「だって、常識で考えてよ。仮にモデルを引き受ける気になったとしても、こんな強引な男相手だと不安で身を任せられないでしょ。いくらわたしがレディでなくても、幻滅だわ」
 違うかしら、と余裕の笑みを向けると、レンは虚を衝かれたように目を丸くした。返す言葉がなかったのか、口をつぐんでわずかに眉を寄せ、視線を横に流す。
 ノーラはフンとあごを上げた。——そうだ、最初からこうして突っぱねておけば良かったのだ。逃げ回って避けて、挙句振り回されるなど、自分らしくなかった。
「さ、諦めてそこをどいて」
 黙り込んだレンの胸を軽く押して、ノーラは毅然と言った。
 しかしこれでようやく解放されるかと思いきや、再び手を取られる。
 さすがにしつこいと、目をつり上げて文句を言いかけた時だった。
 それまでの強引さはどこへやったのか、レンはそっと労わるようにノーラの手を持ち上げると、腰を低くしてそこに唇を寄せた。
「……俺に、お前を描かせて欲しい」
 指先に軽いキスをして、上目に訴えかけるような視線を寄越す。
 ノーラの背後、部屋の窓からの陽射しを受けて、レンの髪が金糸のようにきらきらと揺れた。気だるげな紫紺の瞳に切実な光を宿し、あくまで優しく、割れ物を扱うように、まるで愛おしいものに触れるように、きゅっと甘くノーラの指先を取る手に力を込める。
 ノーラは言葉を失った。——一拍、二拍と間が空いて、カアッと顔が熱くなる。
 予想外の行動にとっさに言葉が出てこなくて、魚みたいに口をパクパク開閉させた。
「……ああ、レン。こちらにいたのですか」
 そこへ、不意に穏やかな声が割って入り、ノーラははっとした。
 廊下からダリウスが落ち着いた足取りでこちらに歩み寄ってくる。
 レンの意識がそちらに向いた瞬間、ノーラは慌てて奪い返すように手を引いた。「あ」と何か言いかけるレンの脇をすり抜けて、ダリウスの元へ駆け寄る。
「ダ……ッ、ダリウスさん!」
 顔に集まった熱を吹き飛ばすように大きな声を上げて、ダリウスに助けを求める。
 えっと目を丸くしたダリウスの背に隠れ、首を振ってきつくレンに睨みんだ。
「あの人、嫁入り前の女性を何だと思ってるんですか、本当にしつこい!」
「おい、しつこいとは何だ。お前がそういう扱いをしろって言ったんだろうが」
 レンはさも心外そうに苦い顔をした。腰に手を当て、首の後ろを引っかいて嘆息する。
 ——誰もキスなど頼んでないわ! この女たらしが!
 ノーラはいーと歯をむき出して、レンを威嚇した。触れられた指先を、反対の手できつく握る。心なしか、そこだけ熱い気がした。
「……レン、無理強いはするものではありませんよ。あまりご迷惑はかけないように」
 ダリウスが苦笑して、落ち着いた声でレンをたしなめた。
 年長者の鶴の一声に、レンは曖昧な相槌を打ちながらも、大人しく口を閉ざす。
 ダリウスはくるりと振り返って、申し訳なさそうに眉を下げた。
「すみません、ノーラさん。何かありましたら、遠慮なく平手の一発や二発、お見舞いして下さって構いませんから」
 ダリウスの言葉に、レンは「おいちょっと待て」と不服そうに苦言を申し立てた。しかしダリウスは穏やかに笑んで、さもあらんと答える。
「君がノーラさんに無理強いをしなければ済む話ですよ? 女性に乱暴はいけません」
「別に乱暴は……」
「嫌がる事をすれば、ご当人にとっては乱暴でしょう」
 あくまで穏やかに、けれどさくさくとレンをたしなめるダリウスに、ノーラは目を輝かせた。この人は味方だ、と手を組み合わせてダリウスを見上げる。
「ありがとうございます……っ、自己防衛に励みます」
 ダリウスは「ははは」と笑って、お手柔らかにお願いしますね、と眼鏡を押し上げた。
「さて、レン。今日は朝会の日ですよ。そろそろ行かないと」
 と、ダリウスが改めてレンを振り返り、促すように小さく頷いた。
 それを受けて、レンは「ああ」と軽く返事をする。
「朝会……?」
 何の話だろうと、ノーラはその単語を反芻した。ダリウスが気付いたように振り向いて、「おや、レンから聞いていませんか?」と首をかしげる。
「仕事の話はまだしてない」
 ノーラの代わりにレンが答え、ダリウスはやれやれとわずかに呆れたように眉を下げた。仕方がない、とノーラに向き直り、軽く説明してくれる。
「朝会は、簡単に言えばお城での占いの仕事です。神術師は週に一度、王家の方々が過ごされる場所と時の吉凶や、催事に関して占ったり、軽く先見をしたりするのですよ」
 ノーラは目を瞬かせた。神術師も占いができるのか、と感心する。それも、さらりと告げられたが、先見だの時と場所の吉凶を明確に占うだの、かなり高度な占いだ。
 もしかして、占いも高度なものに関しては神術の一つに分類されるのだろうか?
「朝会以外は外での仕事が主なのですが、基本的にこれはレンに任せています。逆に、僕はこの屋敷での書類整理に追われているのですが……その間、ノーラさんにはまた別に、お願いしたい事があるのです。これについては、詳しくはレンから聞いていただけますか?」
 ダリウスはそう言って、ノーラを窺うように軽く首を傾けた。
 レンから聞け、と言われてノーラはわずかに首をすくめた。
 けれど表情には出さずに頷くと、ノーラの様子にダリウスは安堵したように息を吐く。
「では、レン。ノーラさんを困らせないようにして下さいね。僕は先に行っていますから」
 レンに念押しをして、ダリウスは来た時と同様の落ち着いた足取りで去って行く。
 その背を笑顔で見送り、それからノーラは、すっと表情を消してレンを睨んだ。
 レンはそんなノーラの視線を受けながらも、何を考えているか解らない無表情でひと言、「来いよ」とあごをしゃくった。
 レンの後について絨毯の敷かれた廊下を突き当たりまで進むと、右に曲がってすぐのところでレンが足を止めた。そこにある、ノーラの自室と同じ何の変哲もなさそうな扉の前で、
「——ここ、何の部屋?」
「俺の部屋」
 ノーラはびたりと、全身の動きを止めた。
 それに気付いたレンが面倒くさそうに眉を寄せて「何もしねーよ」と文句を言う。
 ——疑われるような素行を改善してから言え。
 そう思いながら、ノーラは警戒心を強めて、中へ入るレンにそろりと続いた。
 カーテンが閉め切られたままで、中は少し薄暗かった。その部屋の様子に何となく既視感を覚えた時、レンがシャッとカーテンを引く。差し込む陽射しに、思わず目を細めた。
 瞬きを繰り返して視界を慣らしてから、改めて部屋を見回す。
 数日掃除をしていないのか、空気はわずかながら埃っぽい。暖炉にソファ、テーブルには果物の入ったバスケット。壁には特に飾り気がなく、豪華は豪華だけれど、随分と簡素な部屋になっていた。そして順に視線を巡らせ、最後に目に入ったのは、奥の扉の横手にある棚——その上に並べられた、九体のドール。
 そこに見覚えのある鈴付きのリボンを見つけて、ノーラは「あ」と小さく声を上げた。
 ——そうか、既視感を覚えて当然だ。ノーラは面接の占いで、この部屋を視たのだ。
「俺の部屋と言っても、ここはダリウスもよく来るし寝室は別になってる。奥の部屋が寝室兼、作業場だが、お前は入らなくていい」
 言われなくても寝室になど誰が入るかと思いつつ、ノーラは「はい」と返事した。それから何となく、奥の棚にあるドール達の側に寄る。
 飾られているというよりは、立ったり座ったり、自由に並べ置かれているドール達。
 多少の身長差はあるものの、すべて六、七歳くらいの幼い子供の姿をしていた。男の子が四体、女の子が五体で、昨日レンが抱いていたドールもある。髪色や瞳の色は様々で、一つ一つに個性があった。つり目の子がいたり、たれ目の子がいたり、鼻筋の通った子もいれば少しだんごっ鼻で愛嬌のある子がいたり……。
 服装も色々で、皆ノーラよりも上質な絹の服で着飾っている。女の子の中には胸元の開いた大人っぽいドレスを着ている子もいて、おませさんだなあと、思わずくすりと微笑んだ。
「お前には、こいつらの世話を頼みたい」
 眺めていると、レンが不意にそんな事を言った。
 ノーラは思わず「は?」と頓狂な声を返して顔を上げた。
「え、こいつら? こいつらって……ドール?」
 訊ねると、レンは「ドールだな」としれっと頷いた。それからカーテンを紐でくくり留めて歩み寄ると、男女一体ずつのドールに「お前ら行くぞ」と話しかけ、抱き上げる。
「じゃあ、頼んだ。朝食の後からでいいから」
 そうして簡単に言うと、レンはドールを抱いたまま足早に部屋から出て行ってしまった。
「えっ、ちょ……っ!」
 一瞬呆気に取られて、慌てて呼び止めた時には扉がばたんと閉じていた。
 ——それが『助手』の仕事なのかとか、お城の朝会にドールを連れて行くのかとか、色々と突っ込んで訊きたい事はあったけれど、何より一番の疑問は——。
「え、世話って何? わたし何すればいいの……?」
 ——人を口説く時は無駄にぺらぺらと口を動かすくせに、何なのだこの不親切さは。
「せ……ッ、説明くらいして行きなさいよぉ!!」
 誰もいなくなった部屋の窓を、ノーラの怒りの絶叫が震わせた。